妻が「ホロコースト全史」(マイケル・ベーレンバウム/創元社)が無茶苦茶面白いというので、少しずつ読み出した。通勤時に読むには重いのだが、これがまた、スイスイと読めるのだ。やはり属性の問題なのだと思う。
とりあえず第1章の「ホロコーストの足跡」を1日で読み終えた。この中で、ヨーロッパにおけるキリスト教徒のユダヤ人への差別意識について、これまで知らなかったコトをエントリーしておきたい。
ルターのユダヤ教徒への非難の文章から。16世紀のこの言は、4世紀後にナチの行動を奇しくも予言している。
「まず、ユダヤ人のシナゴーグや学校に火をつける。それから燃えないものは、すべて埋めるか土をかぶせる。こうして、石ころ1つ、燃えがら1つ、二度と目に触れないようにする。モーゼは申命記13章に、邪教にふける全ての都市は火によって焼き尽くされるであろうと書いている。モーゼが今も生きていたら、彼は率先してシナゴーグやユダヤ人の家に火をつけていただろう。」
仏の社会主義者・プルードンの言葉。「ユダヤ人は人類の敵である。ユダヤ人はアジアに追い返すか、絶滅させるべきである。…火で焼き尽くすか追放すべきである。ユダヤ人を地上から抹殺すべし。…だが、子孫を増やすおそれのない老人には目をつぶってやってもよい。」
1933年の5月にナチが起こした非アーリア人の著作の焚書事件について。アインシュタイン、フロイト、ツヴァイク、トーマスマン、さらにはヘミングウェイも焚書の対象になった。マルクス、トロツキーは当然、障害者の著作であるとしてヘレン・ケラーもである。この時、アメリカでは、タイム誌が、これを「図書(ビブリオ)コースト」と呼び、ニューズ・ウィーク誌はユダヤ教において神前に備えられる焼かれた犠牲を意味する「ホロコースト」と読んで報道した。これが後にユダヤ人虐殺を指す言葉となるわけだ。
「本が焼かれたら、次に焼かれるのは人間である。」焚書に関するこの言葉は、ユダヤ人の血を引くドイツの詩人ハイネが1世紀も前に書いたものである。この言葉どおりになるのは8年後である。
…今日はなにより、ルターの文章に驚いた。私のルターのイメージは、カルヴァンよりはるかに温厚なものだったのだが…。当然、人権などという概念は近代のものだし、ルターが活躍した中世から近世では、支配層に属するルターにとっては、こういう感覚が普通だったのかもしれない。ハイネの言葉も深く心に残る。もう一度、書いておきたい。「本が焼かれたら、次に焼かれるのは人間である。」
2015年7月13日月曜日
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