2014年3月7日金曜日

「ヨーロッパ史における戦争」

中公文庫の「ヨーロッパ史における戦争」(マイケル・ハワード)を読んでいる。今年度の世界史Bの授業はでナポレオンまで終了したわけだが、中世から近世にかけてのヨーロッパ史は戦争の連続で、この中心になるのは「傭兵」である。この「傭兵」という概念、なかなか生徒にはわかりにくい。ちょっと専門的な教材研究として本書を手に取ったのだが、ヨーロッパの戦争そのものの構造的な変遷も理解できて、なかなか読み応えがあったと思う。

…本書では、前半部が第1章が封建騎士の戦争、第2章が傭兵の戦争、第3章が商人の戦争となっている。本書をつらぬく最大のポイントは、戦争あるいは軍事力の保持そのものには金がかかる、という一点である。

ヨーロッパ史においては、古代ギリシア・ローマ以来、軍事は貴族の本業であった。その伝統を受けて、中世においては、封建制による騎士が主体であったわけだが、主君が与える生活の糧以上の支給が必要不可欠になっていく。奉仕に対して手当をうけることから、俸給のためにだけ奉仕するように変化するのは必然。12世紀以来、ヨーロッパは(大きな)外敵の攻撃がなく、人口と富が増加し、十字軍という安全弁は閉じ、利用できる封土の数が激減した。ドイツのように財産を際限なく細分化して相続するシステムでは、貴族の経済的困窮を生み、イングランドのように長子相続制のところでは、貴族の弟たちは十字軍で財産を求めるか傭兵になる以外、選択の道が残されていなかった。傭兵は戦争がない時は、フランスでは「皮はぎ人たち」という呼び名で呼ばれ、略奪・強姦・放火の集団であった。

15世紀の仏王・シャルル8世の軍隊は最初の近代的陸軍と言われている。騎兵・歩兵・砲兵から成り、国庫から俸給が支払われていたからである。16世紀には、独立する代償(すなわち軍事力を維持すること)は非常に高価なものとなっていた。17世紀後半になって、ヨーロッパの君主は持続的な基礎(要するにオカネがあって)に基づいて常備軍を維持できたのである。「金こそ戦争の活力」であったわけだ。

近世・16世紀の重商主義は、ポルトガルもスペインもオランダもイギリスも、そしてフランスも事実上戦争で儲けようとしていた事に他ならない。重商主義は軍事的な行動でもあった。カスティリアの小貴族はレコンキスタの終焉とともに軍事という伝統的な生業を失い、相続法で財産が縮小した。ある者は内陸で傭兵となったが、海に近いものは新大陸に向かう。そう考えるとわかりやすい。新しい雇用の出現だ。

また貧しすぎて身を立てることができなかったも者はプロテスタンティズムに向かい「私椋船」を仕立て、ローマ法王の権威によって独占されてきたポルトガルとスペインの富を侵すことに痛快さを感じた。フランスのユグノー戦争やオランダの反乱、イングランドのメアリ女王の迫害が、ユグノーやオランダ人、イングランドのジェントリーたちをして海に向かわせた。「プロテスタンティズムと愛国心と略奪は同意語になった。」という記述が印象的である。独立を求めて絶望的な戦闘を強いられていたオランダのユトレヒト同盟諸州にとって、拡大し過ぎてろくに防備されていなかったポルトガルの領地は文字通り黄金の機会を与えた。(ポルトガル王はスペイン王でもある。独立戦争の相手である)スペイン王室の富の源泉を奪い、自らの戦争遂行の資金をもたらす一石二鳥の軍事・経済行動となったというわけだ。

私椋船はある意味で傭兵隊の海上版であり、商人による戦争の時代であったのだ。

ところで、オランダはイギリスやフランスに、海軍装備、技術的提言、保障付きの商品市場を提供して儲けたが、イギリスもフランスも略奪から新しい富の源である砂糖栽培・定住化に向かう。しかも両者とも閉鎖的で敵対的で排他的体制をつくる。両者とも他者の破壊の上にのみ栄えると考えていた。この辺が、後の世界史に大きな影響を与えていくわけだ。

…長くなった。いやあ、面白い。様々な教科書の歴史的事項の底流に流れる金と戦争をめぐる話。また、プロテスタンティズム諸国がカトリックのポルトガル・スペインを凌駕していく理由。春からの3年生の世界史Bの授業でも、ちょっとふりかえって活かしたいと思う。

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