2014年2月19日水曜日

口舌の徒 平泉澄の戦争責任

「天皇と東大Ⅲ」(立花隆著/文春文庫)を読み終えて、数日たった。じっくりと思索してからエントリーしたかったのだ。滝川事件から話が始まり、天皇機関説論争、そして2.26事件、満州事変…。一気に軍が政治を掌握していく。表面的(教科書的)にはそうなのだが、この底流に流れているのは、国体観の変化である。

軍は、基本的に天皇を神格化しておきたい。山縣有朋以来、天皇の皇軍として国民皆兵は進んできたのだし、天皇を立憲君主というシステムだと認識する天皇機関説は都合が悪いのである。民間の右翼と交流しながら、国の進路を軍の都合の良い方向にもっていく。ここで、ひっかかるのが、統帥権である。天皇の側から見れば、軍はどんどん自分の意思を反故にしていく。満州事変からその後の日中戦争へ、どんどんと下聞くらいではどうにもならない状況に追い込まれていく。完全に天皇の統帥権は名ばかりになり、軍から見ると統帥権を振りかざすことで政党を押さえ込む。完全に軍の権利を守るテーゼと化す。2.26事件の評価は難しい。天皇主権主義の原理主義的な皇道派が一気に粛清されていくのだが、残った統制派は、非皇道派といった方がわかりやすい。結局、天皇を神格化していく必要性は同じである。

「天皇と東大Ⅲ」では、東大の文学部教授の平泉澄のことが詳細に紹介されている。この平泉澄は、国体観を変化させる上で極めて大きい存在だったがよくわかる。彼が様々な場所(東大だけではなく陸大やその他の軍関係の学校)で精力的に説いた平泉史学というのは、一言で言ってしまえば、天皇のために死ぬことが日本人の美学であり、本懐だということである。楠正成を敬愛する神官でもあり、彼の教え子(信奉者)は陸軍を中心に膨大な数にのぼる。東条英機もそうだし、あの敗戦直後「日本の一番長い日」でクーデターを起こそうとした青年将校たちも、それの責任をとって自刃した阿南陸相もそうだ。もう将校のほとんどがそうだったといってよい。特攻隊も人間魚雷回天も、天皇のために死する美学=平泉史学の上に構想・実行された。

立花隆の文章を最後に抜粋しておきたい。(P440)「私が不思議に思うのは、平泉があれほど特攻と、玉砕を煽りに煽って、多くの若者を死に追いやったというのに、本人はそのことに何の責任も感じていなかったらしいことである。」「平泉には、同じように英霊と天皇に死を以て謝すという考えは浮かばなかったのか。それとも、平泉は所詮口舌の徒であって、行動の人ではなかったのか。」「(東大を退官して)さっさと故郷に帰って、もとの白山神社の宮司に戻ったことだ。その後平泉は昭和59年(89歳)まで生きたが、その言動は終生あの時代と変わらなかったといわれる。」

冷静に見て、同じ民間人としては大川周明などよりはるかにA級戦犯的な人物であると言わざるをえない。こういう口舌の徒は今もいるに違いない。

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