2014年2月6日木曜日

ナポレオンと山縣有朋

http://www.behance.net/gallery/Napolon
-Bonaparte-in-Vilnius/9644103
世界史Bは、ナポレオンの話になっている。私はどうもナポレオンという男は友人にしたいとは思わない。(笑)ところで、このナポレオンがヨーロッパ大陸を席巻した理由について話している。フランス革命期に対仏大同盟に際して、ジャコバン派が「徴兵令」を出す。当時のヨーロッパでは常識だった傭兵ではなく、「国民皆兵」に移行するのである。貴族の土地を農民に与え、その土地を守るため、一般の農民は自らの土地とフランス革命を守るために立ち上がることになったのだ。普通選挙による無産階級を代表するジャコバン派らしい方程式だ。なんか、ペルシャ戦争の時のギリシアを彷彿とさせる話だ。だから、ナポレオンが国民皆兵を考え出したわけではないのだが、ナポレオンの凄さは、学校教育を行い、標準的なフランス語を徹底して教育したことだ。いくら士気が高くても軍隊として集団行動が出来なければ勝てない。

この国民皆兵こそが、近代国家の「国民国家」を作り出した。プロイセンなどは、ドイツ人らしく論理的に、このナポレオン軍の強さの秘密を解明し、自国民も無理やり「国民国家」化し、最後の最後のワーテルローの戦いで仏軍を逆転し溜飲を下げるわけだ。国民国家というのは、軍事思想であるといってよい。

ところで、少し日本史とオーバーラップさせてみる。日本にこの「国民皆兵=国民国家」という概念を輸入したのは山縣有朋である。戊辰戦争後訪欧して、この列強の強さの秘密を得て帰国するのだ。で、山縣有朋は、西郷に談判し「廃藩置県」の断行を迫るわけだ。廃藩置県とは封建制度の破壊であり、政府軍をつくるための方便でもある。明治の黎明期は、ほとんど新国家プランのない時代だが、学制だけは素早い。日本語の確立、東北弁の克服。ハト、マメ、マス。国民皆兵への道筋をつける事だけは迅速だった。それだけ、列強の植民地支配への危機感が強かったともいえる。

こんな話を今日、文Ⅰ(進学クラス)でしていたら、授業終了後、「先生、廃藩置県の真の意味がわかりました。面白いです。どんな本を読んだらいいですか?」と、ある生徒が聞いてきた。嬉しいではないか。興味をもってくれることが、私の最大の眼目である。

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