今週一週間、世界史Bの補習をやっていた。90分で毎日1コマだから大したことが出来ないのだけれど。今日は、ここ2日ほど経済学史的に論じてきた帝国主義論、アジアやアフリカへの植民地支配に積み上げる形で、「第0次大戦」の話をしていたのだった。フランスの世界史の教科書では、日露戦争がジャポネ初登場らしい。(日本では、フランスのことは、ガリアの昔から登場するのだが…。)そう、日露戦争は、世界史に大きく絡むのである。だいぶ前、NHKでこの「第0次世界大戦」という衝撃的なタイトルで日露戦争を論じた番組があった。私は、この見方面白いと思う。(あくまで、歴史的な見方の話であって、戦争の是非を問うものではない。)
日本の帝国主義とロシアの帝国主義は欧米に遅れてやってきた。すでに清は列強に半植民地化されており、日本は、日清戦争の勝利で、産業資本が重工業化するきっかけをつかみ、国民皆兵の制度的勝利感が高揚し、治外法権の改正も行えた。しかし、国益がぶつかるロシアを仮想敵国として次に備えざるを得なかった。国民は幕末の攘夷の志士の如くナショナリズムに高揚していたが、政府はその危うさをまるで江戸幕府のように実感していたわけだ。政府は、日露戦争を戦う前提として、仲裁者(アメリカ政府)と資金(イギリスの金融市場)の協力を不可避と考えていた。幸い、イギリスの状況が日英同盟と言う形で結実した。バルチック艦隊が、イギリスの執拗な嫌がらせを受け、へとへとになったことは、日本側に有利に働いた。
一方、フランスはロシアを援助する。西部アフリカやマダガスカルなどでバルチック艦隊は補給を受けたからこそ日本海までたどりついたのだ。ドイツは心情的にツァーリを焚きつけた。ドイツにとっては、どちらが勝っても国益にかなう。アメリカは、結局日本の依頼を受け仲裁に入り、国際的な名誉ある地位を得た。もちろん、清と朝鮮は戦場となり多大な被害を受けた。
日露戦争は、単に日本とロシアが戦った戦争ではなく、多くの国が直接・間接的に関わっている。第1次大戦が、軍事的な新技術と総力戦という国力をかけた戦いだとすれば、まさに日露戦争は第0次世界大戦だと言えるだろう。明石大佐のロシア国内での革命勢力支援なども、第一次世界大戦前夜を彷彿とさせる。
うーん、受験のための補習とはいえない90分だった。(笑)だが、こういう話、案外受験に役立つらしい。受講生のA君に、明石大佐の話から、第一次ロシア革命の話になって、「えーと、何神父だったかなあ。」というと、すぐ「ガボン神父です。」と返ってきた。しっかり予習してるな。調子に乗って、エイゼンシュタイン監督の『戦艦ポチョムキン』の話にまで脱線してしまった。良い生徒は、教師を調子に乗らせてしまう。(笑)A君も喜んで帰っていったのだった。
2012年7月27日金曜日
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