2012年7月16日月曜日

チェ・ゲバラになれなかった男

先日、久しぶりに本屋に寄ったら、帯に立花隆に「これだけ面白い本に、ここ数年出会ったことがない」と言わせている文庫本を見つけた。鹿島圭介著の『警察庁長官を撃った男』(新潮文庫7月1日発行)である。オウム騒動の時に起こった国松警察庁長官狙撃事件の話である。

どこまで本の内容を明らかにしていいのか悩むところだ。と、いうのも立花隆にそう言わしめた面白さは、まさに推理小説の如き展開にあるからで、著者が真犯人とするN爺の波乱の人生、使用された銃器と特殊な銃弾の話、そして刑事警察と公安警察の確執、中でもYという警察官僚の保身と体面によって時効となり、真実が封印されてしまった事実、と言えるだろうか。

私の読後の感想として3つ挙げたい。ひとつは、この真犯人とされるN爺のおよそ規格外の生き方である。東大教養学部中退。チェ・ゲバラにあこがれ、狙撃手としての訓練を受け、中米にまで行ってしまう人生。前悪を越えた凄みがある。もちろん犯罪者なので断罪されてしかるべしだが、なんとも魅力ある人物なのである。著者の入れ込み方もわかる気がする。もし、訴追され公判が開かれていたら彼は何を語ったのか、それは私も知りたい。2つ目は、この狙撃事件の詳細な分析、特に銃器と弾丸に関する科学的な分析である。いかにも立花隆が面白がりそうな部分である。思わず引き込まれてしまう。3つ目は、Yという人物がオウムの犯行と決めつけ、警察の最大の汚点を残した事実である。高級官僚という人種はかのようなモノかと暗然とした気持ちになった。

おりしも、今日のニュースで福島県の飯館村が3避難区域に再編されたという。1カ月以上避難勧告されず、あげくに今や「帰還困難地域」とされ、バリケードで封鎖された方々の憤懣や想像を絶する。誰も責任を取らない。東京電力だけでなく、このような非難命令の遅れを許した政府中枢や通産省などは、おそらくN元警視総監のように保身と体面から自らの責任を認めず、真実を曲げたままにしておくのだろう。ウェーバーが初めて指摘した頃から変わらぬ「THE官僚主義」というべきか。

不思議な読後感が残る本である。

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