2011年6月18日土曜日

京大 アフリカ研公開講座 6月

北側の近衛通りから京大稲森財団記念館を望む
本日は、国際理解教育学会の研究発表大会の第1日目だったのだが、すべてパスした。理由その1。土日のうち1日は休養日にあてないと体がもたないこと。理由その2、京大のアフリカ研公開講座と重なっていたからである。朝から山科の京都橘大学に行って、京大に向かうことも考えたが、どうも体が持ちそうもない。明日の自分の発表に十分余裕をもって臨みたかったのである。公開講座をパスすることは考えられなかった。今日は、前から楽しみにしていた『焼畑に生きる』という大山修一先生の講座だったからだ。

大山先生は、見るからに人の良さそうな(失礼)准教授で、最初はミオンボ林の研究をされていたらしい。その疎林の状況を始めて調べた93年から、ザンビアを中心に長年研究されている。前回の荒木先生と同様、チテメネという焼き畑の話だった。荒木先生は、土壌という視点から話された。今回の大山先生は、農村の生活という視点から話されたと言ってよい。これがまた面白いのである。大山先生のプレゼンテーションには、ビデオが挿入されている。たとえば、乾季に焼き畑を作るため若い男性が、ミオンボの木の枝を伐採するするのだ。「登って、枝を落として、降りるのにどれくらいかかるでしょう?」なんていうクイズが可能になる。木に登るまで32秒。パソコンの下に数値がでるから正確だ。正解は、なんと4分29秒だった。バランスを取るのが難しそうである。なかなかカッコイイ。上手く伐採できないと女の子にもてないそうである。(笑)一方伐採された枝葉は、女性が運ぶらしい。その切り方で夫の愛情がわかるらしい。(笑)こういうミクロな地域研究、いいよなあと思う。今回はソルガムやキャッサバの調理法やオカズについても言及された。後の質問会で、この時ふれられた虫食について質問があった。「街でも虫食は売られていますか?」農村から都市に出てきている人々の郷愁をさそうようで、よく売られているとのこと。私はジンバブエのハラレのスーパーで買った「幼虫を乾燥させたモノ」を思い出した。歯磨き棒の話も出た。私はブルキナのサヘルの村で運転手のズゥレが、使っているのを見た。今、インターネットで日本でも売っているらしい。230円とか。私はいらん。(笑)こんな面白い話が満載の公開講座だった。今回は、中学生も数人参加していた。後で知ったのだが、大山先生と同級生だったという塾の先生が希望者を募って来ていたのだった。難しい話もいいが、彼らにもわかるような興味深いビデオや逸話もあって、よかったと思ったのだった。

さて、大山先生のザンビアの焼き畑の話の核心は、「貧困」との関連である。彼ら(ベンバ人)は、基本的に自給自足で生きている。世銀やIMFの統計では、1日$1(最近はドル安で$1.25になっている)以下で生活する人数に入る。当然、ミレニアム開発目標の半減すべきヒトビトに入るわけだ。大山先生は、地域研究者として、それに疑義をはさんでおられるのだ。彼らは決して「貧困」ではない、というわけだ。貧困を削減するという国際社会のマクロレベルの開発思想は、ミクロから見ると反対に、生活を破壊している。「開発」の美名の元で、土地の私有化が計られ(ザンビアの新・土地法)、南アなどの資本が慣習地(協同保有地で村の長が管理していいる)を、超安価で使用許可を得ようとした例もあるという。このままだと、焼き畑農業はミオンボ林の自由な運用地が狭められ、その結果収穫も減少していくに違いない。実際、収穫が減少しているようで、ベンバが貧乏人の仕事と蔑む炭焼き生産も広く行われるようになってきたという。

私は、この大山先生の視点、極めて重要だと思う。ミクロな地域研究の視点から見ると、「貧困」削減、「開発」による所得の増加などのマクロな政策がが、実際には逆のベクトルになっているのだ。このところ、「援助じゃアフリカは発展しない」・「はしごを外せ」など、これまでの開発経済学のセオリーのコペルニクス的転回を図ろうとする論が出てきている。大山先生の今日の話は、少なくとも私にとっては、その同一線上にあったのである。

アフリカの貧困の主原因は、自然の過酷さからくる土地生産性の低い農業、それも主食となる穀物生産が、人口維持力以下であることから始まる。本来(資本主義の発達のセオリー)なら生産性が向上し、自由な賃金労働者として都市で工業生産に従事するはずの余剰人口が、インフォーマルセクターに滞留せざるを得ない社会状況。教育事情の悪さから、ガバナンスが悪く投資を呼び込めない経済状況。市場規模の小ささからくる飲料などの設備工業のみの工業生産。これに貿易自由化などの先進国からの強制と、資金援助により維持される政治体制。したがって、その貧困の根源を断つには、なによりまず農業の生産性向上という結論になる。
しかし、それは可能なのか。また「アフリカの開発経済学」はその方向性でいいのか。大きな疑問符を、大山先生は私に突きつけたのである。今月も、期待以上だった。行って良かったとつくづく思うのである。

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