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そんな中で、今日の毎日新聞の朝刊に、この問題に対する『記者の目』が掲載された。是非ともご一読願いたい。この中で、取材されている私のほぼ同年代の府立高校の教師は、きっと私の書いている”組合に近い真面目な方”だと思うのである。(起立はするけど、そんな事考えたこともなく、適当に生徒に接している人も多い。)彼と私とは考えが違うが、そういう人がいてもいいのではないか、またいなくてはならないと、私は思う。
この記事の結びにあるように、『大阪は、在日韓国・朝鮮人らマイノリティーの人々が多く暮らす地域性もあり、雑多で自由な空気が魅力の一つだと私は思ってきた。その大阪で、さまざまな考えを学び合うはずの学校が、一つの型にはめ込まれようとしている。子どもの将来を思うと、取り返しのつかない道を進んでいる気がしてならない。』全く同感である。ちょっと嬉しかったのであった。
先日の記事を拝見し、その日のfacebookへの書き込みです。
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いつもの習慣でかなり眠い。そろそろ布団にもぐりこんで、本でも開いてみよう。
どの国の国旗・国歌も尊重するべきだと思っている。「礼」ということの大切さも仕事の中で感じるようになった。が、一方で「寛容さ」もまた大事なのだと思う。教育の中で、ある程度の強制も必要なのだと感じることがある。が、あなたが言ってはおしまいでしょ…という人もいる。
転職後、たかだか10年程度の経験でも迷いに迷っている。この条例の制定…そりゃそうだと思う自分/でもこの条例が一人歩きすることの恐さを感じる自分もいる。こういうバランスって、いくらか異なる意見や存在が内側にいることを認めるような体制でないと生まれないんじゃないのかな。
今後の運用に注目だろうな。
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森毅さんや高坂正堯さんのような方々がなくなっていることをとても残念に思います。お二人なら何て仰ったのでしょうか…。いい意味でのいい加減さもあったように思うんです。それが、とくに学校では必要なように思います。
非常勤講師さん、さっそくコメントありがとうございます。大阪の知事は、あれからも私党をつかって好きなことをしています。定数減も強行採決しましたし、関西電力の節電協力要請もけったりして、話題を振りまき、マスコミに常に自分の姿を撮らせることに専念しています。こういう謙虚さや大人の男の美学を感じさせない人間は、どうも生理的に受け付けません。底の浅さの表れのように見えるのです。
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