通勤電車で読む文庫本は、ページ数が多いと重量がかさみ、吊皮を持っている時など片手で読む際に疲れる。適度なページ数は250ページほどかと思う。内容は、当然知って買うのだから、興味をもったものだが、あまりに重い内容だと、睡眠効果を生む。軽すぎるとばかばかしくて読む気がうせる。たった2項目の快楽計算だが、案外そういう条件を満たす文庫本は、そうはない。今回読んだ「鉄学概論-車窓から眺める日本近現代史」(原武史著・新潮文庫)は、通勤電車文庫本の快楽計算・高得点の本である。
なにより内容がバラエティに富んでいる。第1章の「鉄道紀行文学の巨人たち」には、阿呆列車の内田百聞、阿川弘之、そして宮脇俊三の対比が書いてある。なかなか面白かった。第2章の「沿線が生んだ思想」は、文学的な話であまり興味がわかなかったが、第3章の「鉄道に乗る天皇」はすこぶる面白かった。天皇が鉄道に乗り移動することは、その沿線に国民が並び、拝礼することであり、その権威を「視覚的に」訴える絶好の機会となったという話、なかなか面白い。鉄道と近現代史が見事に結びつく。しかも、鉄道の時間は正確である。故に拝礼する国民は、じっと天皇の列車を待つことで、1時間、また10分、さらに1分という時間の感覚を初めて実感していくのだ。さらに東京駅が、その天皇の権威を見せつける為のものであったことも驚いた。丸の内の中央口は今も皇室専用だという。
第4章は、小林一三の阪急と、五島慶太の東急の話だ。これはある程度知っている話だったが、あくまで”民”を貫き通した小林の方がはるかに凄い。当時阪急の梅田駅は、今の大阪駅の南側にあり、お召し列車が通る可能性もある国鉄東海道線をまたいで上を走るようになっていたとは驚きであった。関西人としては嬉しい。第5章の「私鉄沿線に現れた住宅」は、主に団地の話なのだが、この大規模団地では、60年代から70年代に、日本共産党が強かったという話は、著者の専門が日本政治思想史であり、なるほどと頷いた。特に西武の沿線が強く、西武がこのころ特急に付けた名前が『レッドアロー号』、ソ連の特急『赤い矢』と同じだったというのも笑える。第6章は「都電が消えた日」。この中で著者は都電の『立体的認識』について述べている。皇居にある半蔵門や桜田門という停留所は、都電の場合シニファンとシニフィエが一体化していたというのだ。停留所の名前とそこから見える現実が一体化していたのである。東京の中心に皇居があり、それを立体的に認識できたのである。それが、地下鉄に変換されてから見事に消えてしまったと著者は言う。半蔵門は、単なる駅名、すなわち記号と化してしまったのである。なるほど。
第7章は「新宿駅1968・1974」である。私は、ああ西口のフォークゲリラの話だなと思った。それは1974の方で、1968の方は、ベトナム戦争時代、米軍基地に運ばれる燃料タンク車が火災事故を起こしたことから始まる。新宿駅はベトナムに直接結びつたのである。以来、東口が最初この闘争の聖地となったのであった。これは知らなかった。新鮮な驚きである。第8章は、「乗客たちの反乱」、私が高校生の頃実際に経験した『順法闘争』の話である。今読んでも生々しい。サラリーマンたちが怒り狂った心情がわかる。
書評がかなり長くなってしまった。それだけ印象に残る内容が詰まっていたというべきだろう。
2011年1月26日水曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿