倫理第4問 長文の設問 |
決して難しい問題ではない。いつも、私が生徒に言う「秒殺問題(ぱっと見て、解答可能な問題)」である。ユダヤ・キリスト・イスラムの戒律について云々は、当然補習等でしっかり叩き込んである。なにより最初の長文問題の方には、きっちりと『諸宗教間の寛容を説いた』とある。三つの指輪の話を読まなくとも、解ける問題である。設問2の問題の主旨をつかみ、長文の下線部を見ればこの大ヒントがある。受験者は思わず祝福を与えたくなるであろう。
問2 三つの指輪 |
なのに何故良問なのか。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の律法を、こういう形で日本の「倫理」という教科が認識し、それがメジャーとなった(つまりセンター試験に出た)ことが重要なのである。私は、ユダヤ教への批判としてのキリスト教、この両者を批判する形でのイスラム教という視点で、はるか昔(30年以上前)から教えてきた。その頃の教科書には、イスラムはコラム程度にしか扱われておらず、ましてその三宗教の神が同一などという概念は、まさに「へぇー」の世界だった。冷戦の崩壊後、日本でもイスラム教理解が急速に進んできた。イスラム教をユダヤ・キリスト教と同時に学ぶように変化してきたわけで、日本の一神教理解のスタンスがようやく確立されたように感じたのである。
まだまだ、日本のイスラム理解はこれからである。日本の公安は、ムスリム=テロ容疑者のように、流出文書に書かれているらしい。テロは「貧困」から生まれる。イスラムのシャリーア(律法の体系)が悪いのではない。これだけグローバル化が進んだのである。様々な「格差の是正」への動きが出て当然である。先日のエジプトのコブト教会(キリスト教の単性論の教会である。)へのテロも、なかなか豊かにならないムバラク長期政権へのゆさぶりであろう。チュニジアの政権崩壊もモロに「貧困」から生まれたのである。チュニジアは、マグレブ諸国の中でも最も欧米寄りであった。だが「貧困が解決できなかった。だから政権が崩壊したのである。イスラム国家でも、悪いガバナンスは放逐される時代に入ったのだ。(サウジなど王制・すなわち専制のアラブ諸国も戦々恐々だろうと思う。)結局、問題は、イスラムという宗教ではなく、ガバナンスの善し悪しなのだ。
三つの指輪は、解答③にあるように、互いを否定できない。否定できるのは、歴史が生んだ大きな格差である。日本は指輪をつけていない。だからこそ、この三つの指輪の現在の対立を調停しうる立場にあることを忘れてはならないと思う。センター試験の問題が、ここまで踏み込んで作られたのではないと思うが、私は大いに評価したい。
追記:Anruさん、読者登録ありがとうございます。またコメント入れて下さい。
追記:Anruさん、読者登録ありがとうございます。またコメント入れて下さい。
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