2011年1月29日土曜日

上海の高校生を熱烈歓迎

写真の使用許可をもらうのを忘れたので無人の画像です
昨年夏に、本校から上海に府の訪中団として派遣された2年生の生徒のところに、ホームスティするという中国の高校生2人が本校に来校した。もちろん昨日のことである。(昨夜は、国際交流部の新年会だったので、帰宅が”今日”になった関係で更新ができなかったのである。後輩の口の悪いI先生をはじめ、K老師、Y先生、I先生と無茶苦茶盛り上がったのだった。)
 2010年度は、本校国語科2年生が北京に修学旅行に行っただけではなく、3回も訪中団の一員として、数人の生徒が交流事業に参加した。尖閣諸島問題など日中が険悪な時期だっただけに、よく考えると凄い話である。私は、国家と国家ではなく、市民レベルのこういう営みは『地球市民』育成のためにも重要だと思っている。

 さて、当初の予定では阿波座にある某ホテルを9時に出て、地下鉄を乗り継いで来てもらう予定だった。訪中団来校の日程が入る前に3年生の学年末考査の日程が決まり、現代社会の試験が1時間目に入っていたからだ。極めて丁寧なカラー刷りの案内を生徒に持たせて、歓迎レセプションの時にレクチャーしてもらっていた。ところが、いっしょに友好協会の方が本校まで付き添っていただけるとのこと。ありがたいなあと思っていたら、さらに発展して車で送っていただけることになった。当初9:30到着でプランを立てていたのが、9:00到着になり、困ったなあと思っていたら、当日さらに10分早く到着したのだった。あちゃー。
 ここで、救世主登場である。K老師(老師は中国語の通訳資格を持っておられる。凄い人なのだ。)が、校長室での通訳をしていただけることになっていたのだが、校長との挨拶だけでなく、様々な会話の間をとっていただいた。もちろん中国からの訪問生徒は、超優秀な生徒なので英語がかなりできる。特にリスニングは完ぺきだった。しかし、中国語で迎えられるとは思ってもみなかったのだろう。かなり安心したようだ。なにより、本校の玄関には『五星紅旗』がはためき、『熱烈歓迎』の幕まで張ってある。かなり喜んでくれたようだ。(本校には2年に1度くらいは中国からの訪問団がどっときたりするので、そういうグッズがちゃんとあるのである。)なんとか、時間を稼いで、2時間目、校内を案内した。私のサバイバル・イングリッシュを助けてくれたのは女性のI先生(彼女は本校英語科4期生でもある。)で、試験をしている2階の教室棟だけ避けて案内した。彼女たちは小さいながらも小奇麗でユニークな構造の本校を気に入ってくれたようだ。5階のゼミ室で、1年生のE.com(ALTと少人数で行う英会話の授業)をちょうどやっていた。R先生の姿があり、オイデオイデしてくれたので、突入した。10分ほど1年生に交じって授業を受ける。(昔々、R先生が反対の立場でシカゴの教育委員会の先生を連れて校内を回っている時、私の倫理の授業に乱入したこともあるのでオアイコである。笑)体育館まで言ったら、ちょうどチャイムが鳴った。
 ここで本校のホスト生に、2人を託す。3限目情報基礎A、4限目数学Ⅱ、5限目E.com、6限目国語Ⅱ(現代文)と授業に参加する。それぞれの授業担当の先生方は気持ちよく引きうけていただいた。ありがたいことである。

 放課後、2人とホスト生、教職員で、記念写真を撮った。私はそれ以前に撮った写真をCDに焼いて手渡した。1枚だけ5時間目にE.comで撮った写真をプリントしてCDにセットしておいた。こういう心遣いが国際交流の最も重要なことであると私は思う。彼女たちはホストやその友人たちと、心斎橋へ向かいプリクラを撮りにいくとのこと。(笑)アメリカの子もオーストラリアの子も、中国の子もプリクラが好きらしい。

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