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またかなりの蘊蓄の部類になるが、16世紀当時のヨーロッパではカトリックの暦とプロテスタントの暦が10日間ほどズレていて、事件発生日などがスペイン側とイギリス側では記述が異なっているそうだ。
女王陛下の海賊として、最も有名なのはフランシス・ドレークである。彼は、世界一周を初めて成し遂げた船長(マゼランはフィリピンで死亡している故)である。彼の研究では、およそ60万ポンド(女王はその半分を懐に入れたらしい。)をもたらしたとされる。当時の国家予算は20万ポンドであるので、その3倍の海賊マネーである。女王は、アントワープの金融業者に宮廷費の借金返済と、後に発展する海外貿易会社への出資にあてらしい。ナイトの称号も受けている。ドレークは、プリマスを本拠とする親戚のホーキンズ一族という、ヘンリー8世の時代から王室御用達の海賊に預けられ航海術をマスターした。
ドレークが主に狙ったのは、現ボリビアのポトシ→(太平洋岸の)アリカ港→パナマ港(ラマでカリブ海側へ運ぶ)→現キューバの難攻不落の要塞であったハバナ港→護送船団に守られてスペインに運ばれていた銀である。ドレークも情報戦に長けていて、警備の薄い太平洋岸で輸送船を襲った記録が残っている。もちろんカリブ海についても熟知していたようだ。
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