正直なところ、私は幕末における長州の志士たちはあまり好きではない。しかし、この本の著者は彼らの業績をかなりリスペクトしている。UCL(ユニバシティ・カレッジ・ロンドン)の大先輩にあたる故かと思う。
いくつか印象に残った話をエントリーしていこうと思う。この長州藩のイギリス留学生に選ばれたのは、井上勝と山尾康三であった。両者とも洋学の徒であり、当時の最先端技術である操船術・航海術を学んでいた期待の人材だった。開明派の「大攘夷」を論じていた周布政之助が決めたらしい。当時の過激な攘夷には、井上勝は無縁だったが、沿海州に行ったこともある山尾康三は英国公使館焼き討ちに関係している。ここに強引にねじ込んできたのが最年長となる藩主の覚えが良かった元小姓役・井上薫である。ここに家禄が最も高い洋学志向の遠藤謹助を山尾康三が誘う。この時点で4人。さらに井上聞多が伊藤俊輔を誘う。桂小五郎の元で動いていた伊藤はなかなかウンとは言わなかったが、大攘夷のために承諾する。ボスの桂は壮挙として認めたが、藩サイドでは4人。伊藤は事後承諾であった。
当初の渡航費用は、井上勝と山尾康三、井上聞多の3人分600両。しかし江戸の藩邸には、アメリカからの武器調達の為の資金1万両があった。アメリカが南北戦争となり商売不成立となっていた金である。最低でも5000両は必要と考えていた彼らは、この藩の金を担保に貿易商伊豆倉から5000両を借りることにした。これを承諾したのは、村田蔵六、のちの大村益次郎である。これにはちょっと驚いた。なかなか度量が大きい。
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