一昨年の三崎まつり |
三崎高校でも、三崎まつりはもちろん、せんたんミーティングもせんたん劇場も見ている。今はコロナ禍でなかなか難しい。全校で3クラスという超小規模校だったが、国立大学に4人も合格した。そういう意味でも”良き時代”だった。
マレーシアでのPBTも、最初に受け持った国費生(F36)は極めて優秀で、私が担当した総合科目の平均点は(教え方はもうひとつだったのに)信じられないほどよかった。浴衣を着て、パナソニックの盆踊り大会にも行けたし、当時皇太子であられた天皇陛下のマラヤ大学での講演、日本人会へのご訪問にも立ち会えた。新世紀リーダー塾にも生徒を送り出してマハティール氏と会ってくれたし、まさに”良き時代”を過ごしている。
その前のH高校でも、私が転勤した時は、各部活の大御所の先生方が健在であった。転勤後すぐに硬式野球の春季近畿大会で、藤波(当時O高校、現阪神)にコテンパンに抑えられる試合を見た。(笑)その後5年間のうちに、次々に体育の先生方が転勤させられ、若い講師が一気に増えた。私は”良き時代”に転勤したのだった。
さらにその前のM高校でも、転勤した頃は大阪外大が健在で、センター試験後、毎年何人かの3年生が、センターの点数と見比べながら、どの言語を選ぼうかと地理の教師である私に相談に来た。私の担任した3年の時に、大阪外大は阪大外国語学部となり、特に前期試験が一気に難化した。結局、神戸市外大に上位層は行くことになった。やはり”良き時代”を私は経験したのだ。
さらにさらにその前のI工業高校でも、T商業高校でも”良き時代”を経験している。主に教員間の人間関係の面で、若い教師を育てるという気風があった。
こういうラッキーさを私は持ち合わせていると、今更ながら実感したのだった。同時に、人間関係にも恵まれてきた。もちろん、とんでもない人間もいたけれど、およそ脇士として支えてくれた人々がいて、ホント幸せ者であると思う。
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