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フランス革命後、ナポレオンがヨーロッパ大陸をほぼ支配下に置いた際、大陸封鎖令を出したが、これはフランス主導の対イギリスへの保護貿易政策と言える。一人勝ちのイギリスに保護貿易で打撃を与え、フランスの産業育成を図ろうというものだ。
保護貿易を一定期間行い自国の産業を育てた国が先進国になる。これも歴史の法則性である。この大陸封鎖令に従わなかったロシアを懲らしめようとしてナポレオンは没落する。だが、この保護貿易政策は、フランスの資本主義化を進めたし、神聖ローマ帝国時代は領邦国家で分裂状態だったドイツを統一したプロイセンのビスマルクも保護貿易を行っている。ビスマルクの功績は、鉄血政策による統一政策が第一とすれば、保護貿易を行ったことが第二であろうと私は思う。
弱肉強食の資本主義に勝ち残るためには、自国の産業育成が欠かせない。保護貿易に走ることは正しい選択なのである。(戦後、IMFや世銀が独立した途上国に行った自由貿易の推進は、欧米に従属させるための方策にしか私は見えない。)
この自由貿易と保護貿易という二律背反を学ぶのに最も適した教材は、アメリカの南北戦争である。ちなみに、アメリカでは極めて単純に”Civil war”(=内戦)と呼ばれている。博物館などで最初は何のことかと思った。”南北戦争”というのは日本語なのである。
この南北戦争、1812年の米英戦争で、はからずも保護貿易状態となり、工業化が進展した北部と、対英貿易=綿花のプランテーションで経済を支えていた南部の対立である。ここに、奴隷制の問題(自由州と奴隷州のバランス)が絡んで、保護貿易推進と北部と自由貿易推進の南部という図式が生まれたものだ。結局北部が勝利し、保護貿易で成長した工業がアメリカの経済を押し上げる。勝てば官軍で、奴隷制廃止の正義のための戦争などと昔私は習ったが、実際は保護貿易か自由貿易かという経済的対立が主因である。
ともかくも、英仏が近代国家化し、ドイツ、アメリカもそれに続く。日本はもう少し遅れて近代国家化していく。やがて、WW1前には、生産力でドイツ、アメリカが英仏を追い越していくのである。帝国主義の時代である。ビスマルクを失脚させ植民地の再編を目指したヴィルヘルム2世によって、対決の扉が開かれてしまう。
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