https://www.youtube.com/watch?v=Rt1vwR-SoMU |
http://www.js3la.jp/journal/pdf/ronshu52/52_matsumoto.pdf
ハイチは、独立後、奴隷を開放し、フランスの気づいた砂糖のプランテーションを小作農に分配した。つまり、小規模経営化した。先進的な政策だが、国際競争力は低下し、以後経済は停滞する。同時に、フランスへの独立の代償となる賠償金の支払いや軍事費の増大もあったようだ。また、技術革新や経済政策をフランスに依存していたので、独立後、開発を主導する指導者も現れず、停滞を招くのである。
一方ドミニカ共和国では、カリブ海の小国であったが、1940年、アメリカから関税士主権を獲得、輸入代価産業が発展する可能性が生まれた。トルヒージョ独裁政権下で、金融も含めた国内の産業発展の基盤が形成されたらしい。この独裁政権の評判は悪いが、現在ドミニカ共和国は、ジニ係数から見ても中産階級が育ち、中進国のレベルにあり、ハイチとの経済格差は5倍に拡がっている。
これ以上にも様々な内容が、上記のPDF資料にはあるのだが、およそこういう事実が分かった。結局、結局開発経済学的に見ると、ガバナンスの良し悪しが最大の要因であるような気がする。
ハイチの地震は、2000人以上の死者を出して、多くの団体が支援に入っているようです。災害支援に携わるイギリスの理学療法士も現地に入り活動しています。日本からはAMDAが医療調整員を募集していましたが、いろいろ事情があり応募できませんでした。隣国で生活し、ハイチ人の知り合いもいる私としては支援に行きたかったですが。
返信削除水屋君、コメントありがとう。元気そうだね。AMDAか。懐かしいな。ケニアでAMDAの方と接したことがあります。私は中南米の属性が他の地域より薄いので調べてみました。生徒達にも、いろいろな疑問を持って欲しいし、そこから学ぶことが本物の学びになるような気がしています。ハイチの不幸はやはりガバナンスの悪さで、結局か教育の問題にいきつくのかなと思います。
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