http://narajin.net/2007/02/post-76.php |
立花氏が見たかぎりカトリコンの壁画には、「ヨハネの黙示録」の図が描かれていたという。ヨハネの黙示録には、奇怪な獣が登場する。おそらく13章などに記された獣の図ではないだろうか。この事実を立花氏は『修道院の黙示録信仰の重要性を物語っています。』と書いている。さらに『もし世界の終末も、最後の審判も、死者の復活もないのならば、「私たちは飲み食いしようではないか。明日もわからぬ命なのだから」と、(自暴自棄になり信仰を捨てる可能性が高まる)と聖書にある。(中略)修道院に終末論は不可欠なのです。』と記している。(自暴自棄云々は私の注釈)
…私はブディストなので、キリスト教(というより一神教・三宗教の)の説く、子羊が出てくるとか、7つのラッパが鳴るとかいった黙示録に書かれているような終末を信じてはいない。仏教では、四劫=成住壊空(じょうじゅうえくう)と説く。よって、世界がいつか終わる(壊劫)のは必定だという立場だ。これは現代の天文学による科学的な論証もある。
…修道院を否定するつもりはないが、修道士が「大淫婦の支配する大いなるバビロン」を避けて閉じこもっている事は、決して好ましいとは思えない。禁欲的な彼らの生活はサルトルの言う対自存在であって、その上位にある対他存在たりえない。まあ、彼らからすれば無神論的なサルトルを使って批判しようとも屁でもないだろうが…。果たして、終末があったとして、彼らだけが天国に召されてそれでよしなのだろうか。少なくともバビロンの民を1人でも救うという選択肢はないのだろうか。イエスの説く神の愛とはそのような上座的・独善的なものなのだろうか。
…ブディストである私が、またまた語りえぬこと、沈黙すべきことを破っているような気がするが、この天災の多い今現在(洪水や山火事や異常気象が地球を覆い、地震がハイチをはじめ各地で起こっている)、そんなことを想うわけである。
せめて、ハイチの人々のために祈ってやってくれ。彼らは正教徒ではないが、同じクリスチャンも多いはずだ、と思う次第。
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