妻の飛行機がフィリピンを過ぎた頃、連絡がついた |
昨日は妻が一時帰国する日であった。ここで大きな問題があった。と、いうのも私と妻の就労ビザ・家族ビザの取得が遅れていたのだ。これは、マレー系のPBTの担当者の長期入院によるものであって仕方がないことであった。(こういう役所関係の仕事はマレー系の人々の仕事であるそうな。)就労ビザが切れるとまずい。退院してきた担当者が鋭意努力して、期限が近い先生から処理していた。やっと私の番になって、妻の帰国に合わせて役所にOKをもらったというので、前日に妻のパスポートを航空券の予約コピーと共に手渡した。「出来ましたよ」というので本校舎に取りに行ったら、家族ビザが貼ってない。担当者は青くなった。役所の手違いのようだ。結局、校長に書いて頂いたPBTからのレターと申請書類、領収書などを添付して証明できるようにしてくれた。がっかりしている担当者に「ラマダーンだから。」と笑わせたのだった。ラマダーンの時は、どうしてもムスリム人々の仕事の効率性が下がる。
妻は、とりあえずパスポートとイミグレを通過できる書類を手に入れた。もう一つの問題は、妻のスマホのバッテリーが、昨日今日にかけて大きくふくらんでいることだった。気圧が低いと爆発する畏れもある。それで、空港に直接行かず、まずはバッテリーの買い換えということになった。しかし、ミッドバレーの店では、バッテリーは取り寄せということで、泣く泣く何も持たずに帰国することになったのだった。今回は深夜便である。早めに搭乗手続きをとった妻を見送った後、私は翌日(つまり今日である)も仕事なので、タクシーで帰ることにした。(この時点で私はかなり疲れていたのだと思う。血糖値の高い還暦のおじさんである。)
KLIA2ではタクシーチケットを行き先を告げ料を支払うシステムである。私にあてがわれたのは変わったタクシーだった。天井がヒョウ柄のいかにもヤンキー風で、長髪のマレー系の運転手だったのだ。片言の英語でお互いに会話して、とにかく自宅にたどり着いたのだが、KLIA2 TEKSIと書かれた赤い車体を見送った後、妙におしりが軽い。財布を車中に置き忘れたことに気づいた。大パニックである。(現金の他にクレジットカードや銀行のカードなど全てが入っている!)
少し落ち着いて、チケットを見た。英語でよくわからないが、これが唯一の手がかりである。同じコンドに住む英語の達者な友人に頼み、このチケットにある電話番号に電話してもらった。ワッツアップで、チケットも写真で送ってもらった。少し落ち着いて考えると、変わったタクシーだったし、その様子も連絡してもらった。すると、運転手が解り、電話番号もわかったのだ。しかし留守電。凄い英語で留守電に録音した。明日(いや日付は変わっていたが)があるし、とりあえずクレジットカードだけ紛失処置をして寝た。このところ、血糖値が高いのか、毎晩足がつる。妻に足湯をしてもらったりマッサージをしてもらってもつる。ましてこんなストレスの中、熟睡できるほど私は大物ではない。当然ひどく足もつったし、よく眠れないままだった。
ところで今はラマダーンである。かのヤンキー運転手もムスリムである。意外にちゃらちゃらしている方が信仰心が強いことを、私はブルキナファソで見てきた。7:30の夜明け前に食事をするはずだから、逆算して6:20頃に電話した。すると、彼が電話に出てくれた。だが、お互いに英語がまずいので意思疎通が難しい。とにかく、財布の件を語り、大阪の日本人、タマンデサと言うと、わかってくれたようだ。学校からもう一度連絡すると約束して電話を切った。その直後、男性からまた英語の電話がかかってきた。彼のボスらしい。私の電話番号は彼しか知らないので、きっと報告したのだ。彼の英語もほとんどわからなかったけれど、なんとか解決しそうな気がした。
学校に、今度は女性から電話がかかってきた。これまたマングリッシュで全然わからない。K先生が代わってくれて、彼が財布をMBMRまで持ってきてくれるということが解った。電話の女性は彼のワイフだったようだ。そして1時間目の授業が終わり、約束の10:30の少し前に、彼が来てくれて財布を受け取れたという次第。ラマダーン中だし、信仰篤い彼は善を成してくれたわけだ。お礼を渡して、握手して別れたのだった。マレーシアではこういう落とした財布が見つかることは珍しいらしい。
妻の姉に旅かえるのクッションを昨夜買った。http://i.meet-i.com/?p=211551 |
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