深夜特急の6を読んでいる。南ヨーロッパ編である。イタリアのローマで、沢木耕太郎はバチカンの「ピエタ」に感動している。他のルネサンスの傑作と言われる作品も、ピエタから見るとそれ以下にしか見えないと何度も記している。
再読しているからこそわかることもある。これまで私は「ピエタ」をよく認識していなかったが、世界史を教え、ルネサンスを教える段になって、ようやくその姿を目に浮かべることが出来るようになった。私は、当然「ピエタ」の実物を見ていないのだが、それほどに美しいものなのだろうと、なんとなく感じるに過ぎない。実物是非とも見てみたいな。
後半に、スペインの悪口を言う在西1年半の日本人商社マンの話が出てくる。それを聞きながら、沢木は「他国のことをわかるのだろうか。」という気になる。それは、タイで出会った日本人ビジネスマンが「ほんとうにわかっているのは、わからないということだけかもしれないな。」と言った時のことを思い出すのだ。状況はどんどん変化していくし、データなんかは1年で古びてしまう。それに経験というやつは常に一面的…。
今日は、バスの中で読んでいて、なるほどと思った。マレーシアに2年いて、何かわかったような気になっていたような気がするが、本当のところ何もわかっていないのだと思う。経験は一面的なものである。だが、わかっていないから知りたいのである。それでいいのかもしれない。
2018年5月2日水曜日
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