ブルキナファソ/ゴロンゴロンの家畜市の様子 |
イスラムと言えば、先日、日本で購入した荒熊さん編集の「子どもたちの生きるアフリカ」の書評を書こうかなと思う。荒熊さんの項のクルアーン学校の子どもたちの話が面白かったからだ。
この本には十数編のアフリカの様々な子どもたちの報告が綴られている。凡そ、乾燥地域やサバンナ、都会といった風に風土にそって編集されていて、非常に興味深い。アフリカの多様性を感じるための編集方針だそうだ。
「乾燥地に生きる」の第3章「ストリートに生きる子どもたち-ブルキナファソの最大民族モシ」と題されたものが荒熊さんの論文である。実は、私はブルキナファソに行った時、荒熊さんのフィールドワークに付き添ったという貴重な経験をしている。また以前京都の地球研で研究発表も聞かせていただいている。したがって、およそ既知の話なのである。とはいえ、面白い記述がちりばめられているので趣意で紹介したい。
(ブルキナファソの首都の)ワガドゥグは、ムスリムの通商民族だったハウサの人々の強い影響を受けてきたわけだが、一方で「ムスリムがマジョリティのクリスチャン都市」(文化人類学者スキナーの言)で、とてもイスラーム的とはいいがたい文化的状況を示しているとのこと。
…たしかにビールを出す店が大通りに並び、町の隅々で豚肉を焼く様子が見られる。マレーシアも同様だが、異文化が共存しているのと事情はかなり違う。
…記されているクルアーン学校の子どもたちも実際この目で見た。
彼らは喜捨の受け手であり、大人たちは彼らを忌避の対象としながら、一方でバラカ(祝福)を与えてくれる聖なる存在でもある。ワガドゥグ北部のクルアーン学校のタリベ(生徒)たちは、毎朝決まってガソリンスタンドにやってくる。朝のGSはバイク通勤の多いゆえに人が最も集まってくる場所である。全ての客が小銭を扱い、つり銭が出ることも多いので、喜捨を受けるのに最も都合がいいらしい。回転率がいいのである。説教する大人もすぐに立ち去るとのこと。
このクルアーン学校の子どもたちの行為については、ムスリムの中でも評価が大きく分かれているらしい。本来教育を受けるべき時間に物乞いを行うのは人間の尊厳に良くない、という意見。他方で、イスラームの宗教的要請として物乞いを捉え、言い換えれば仏教における托鉢のような意義をもつという意見があるそうだ。ちなみに、金曜日とその前日である木曜日は、タリベたちは物乞いを行わないらしい。…なるほどである。マレーシアではこういう子どもたちの姿を、少なくともKLでは見たことがない。ブルキナファソとは経済的な立場もあって大きく違う。
…続いてストリートチルドレンの話に移るのだが、新刊だし、多くの方に購入を呼び掛けたいので、エントリーはここまでにしておきたい。
…嗚呼。ブルキナファソの青い空とワガの喧騒を思い出したのだった。
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