2017年12月29日金曜日

K君へのレクイエム

K君の師匠の作品のひとつ
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今朝、高校時代からの親友であるK君が逝った。肝臓を悪くして、入院していたのだった。11月の一時帰国の際も妻と見舞いに行ったばかりである。

私の高校時代はかなり破天荒で、決して優等生ではなかった。しかも、今風に言えばグラフィックデザイン科である。個性の強い集団の中にいた。K君もまた、個性の強い男である。1年生の初期はなんとなく対立していた。しかし、あることがきっかけで仲良くなった。それは、彼が阿倍野区役所の食堂で売っていたB-29のプラモデルを購入した時のことだ。(当時は学食が狭かったので、昼休みは自由に外食が出来た。大学のような高校だった。また、なぜ区役所で多くのプラモデルを売っていたかもよくわからない。)航空ファンであることが二人をつなぐことになる。彼の兄貴は、さらにその上をいく航空工学の徒であり、彼の自宅にはよく遊びに行った。莫大なWWⅡ時代のプロペラ戦闘機のコレクションに感動したものだ。

時は流れ、彼は筑波大学の受験に失敗した後、人間国宝の門を叩く。螺鈿などの漆芸技術を習得するという異色な道に入った。その後、民間会社に就職しその能力を活かしていく。かなりの収入があったようだ。膨大な数の鉄道模型とジオラマや海外の山歩き、その写真撮影とまさに好きなことに莫大なカネをかけていた。しかしながら、家庭的には恵まれず奥さんと離婚。体調も崩してしまい、愛犬と共に家に籠もっていた。その頃から妻(彼女も同級生である)が、何かと心配して電話などで相談に乗っていた。男同士というのは、案外プライドが邪魔して本音を吐きにくいものかもしれない。

結局、様々なストレスもあって、酒を飲み過ぎたのが最大の原因であるらしい。「我」が人一倍どころか二倍も三倍も強い奴なので、あまり人の言うことを聞かない、まさに芸術家というか職人というか、そういう面が寿命を縮めたのかもしれない。だが、一方で人情に厚い奴だった。私が高校1年の時にある事故を起こし怪我をしたとき、彼がなぜか私の母親に「私がついていながら、申し訳ありません。」と詫びてくれたのだった。私は、この時の彼を忘れない。青春時代の一時期を濃厚に共にしてきたK君のことを。

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