2017年6月19日月曜日

地中海を渡る難民とMSF

「シリア難民」の書評エントリーの3回目である。我々日本人ががシリアを中心としたの難民問題に注目しだしたのは、トルコからエーゲ海を渡るルートでの悲劇からだったと思う。それ以前に、リビア、あるいはエジプトから難民が地中海を渡り、多くの難民が溺死している。密航業者の難民への扱いは、たしかに極めて非人道的である。

密航船(そのまま救助を求めて放置するので、オンボロ船やゴムボートでないといけない。)を用意し、その船に乗るまで、様々な隠れ家に押し込められる。その間に虐待やレイプもあることも多い。難民は立場が圧倒的に弱いので、悲惨である。バスで毎夜のように連れ出され、密航船に乗れる者もあれば、(密航業者を取り締まっているというポーズを取りたい)地元の警察に捕まる者もある。艱難辛苦を乗り越えて、船に乗れても転覆することも多い。少しでも移動すると転覆するような船なのだ。ぎゅうぎゅうに押し込まれ、地獄のような責め苦を味わうことになる。
イタリアの領海近くまでたどり着けば、そこで救難連絡を入れる。イタリアの沿岸警備隊は、まだかなり人道的で、様々なルートから救助の情報を集め、航行中の船に連絡してくれる。
「国境なき医師団」(MSF)もそういう救助船(借り上げた商船)をイタリア沖に派遣していている。著者はこの船に乗り込み、取材している。このルポが実に興味深い。熟練船員はウクライナ人、下級船員はフィリピン人だった。MSFは柔軟性と平等性を重んじるが、船乗りたちは上下関係にこだわる。しかもMSFがゲストと呼ぶ疲労困憊した難民を運んだ経験がなかった。彼らは「ゲスト」から病気をもらうのではないかとガスマスクをつけていたという。それが何度も難民を救うにつれ、難民がイタリア上陸時に番号を与えられることに腹を立てるようにまでなる。「彼らは人間だ。番号じゃない。」なかなか感動的なルポが続く。
エリトリア人で同じ道をたどってきた元難民のアマニ氏もこの活動に通訳として参加している。彼はパニックを起こさせずに、「落ち着いて」と母国語のティグリニャ語で呼びかけながら、一人ひとり船に縄ばしごを救出していく。その彼の身に奇跡が起こる。大学時代の同級生のリンゴとの再会である。彼は白いヒゲにシワだらけの顔でとても同じ歳(35歳)に見えなかった。2002年に学生デモに参加して逮捕され同じ地下牢に入れられた仲だ。あれから13年、地中海の真ん中で再会したのである。アマニは「年齢よりずっと年老いて見えた。」とつぶやいた。リンゴは「エリトリアのせいだ。」アマニも変わったとリンゴは言う。「少し太った。」アマニは笑いながらこう答える。「ヨーロッパの料理のせいでさ。」

今日の画像は、全て国境なき医師団のイタリアからのニュース記事のものである。一応、国境なき医師団のサポーターの一人である私としても、こういう素晴らしい難民救援をしてくれていることに誇りを感じる次第。
http://www.msf.or.jp/news/detail/headline_3353.html

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