通勤時の文庫本が切れたので、昨日書店で補充した。「幕末大名」失敗の研究(瀧澤中/PHP文庫本年2月発行)である。まだ60ページほどしか読んでいながなかなか面白い。
最初に登場するのは阿部正弘である。私は阿部正弘のことを優れた政治家だと思っている。当時の身分制の中、老中になれるのは譜代大名だけである。藩主は、子供の頃から教養を無理矢理にでも付けられているとしても、所詮は(苦労知らずの)ボンボンである。国を任せるだけの優秀な人間であるとは限らない。そんな中、若くして老中になり、12年間も幕府の中枢で、人の話をよく聞き、調整してきた阿部の能力は卓越している。
阿部が黒船来航に際して、譜代大名の意見だけでなく、親藩・外様大名にも、さらに全ての人びとに意見を求めたことは、まさに幕府の権威失墜につながる「パンドラの箱」となった。阿部の真意は、①本当に役立つ意見を求めた②意見書を見て役に立つ人物を登用したい③親藩・外様大名の幕政参加を可能にするという目標があったようだが、阿部が病死してしまい、保守派(譜代大名)の大反発を招くことになる。歴史に「if」はないが、阿部と島津斉彬がもう少し長生きしていたらおそらく水戸の烈公や松平春嶽らとともに、幕政参加に意欲的な外様大名を入れて雄藩会議のような組織を作ったと思われる。
烈公は、「攘夷」の大親分であるが、水戸学の権威として朝廷をも巻き込み、表向き「攘夷」を唱えながら与党的な現実問題として「開国」に持っていったと思うのだ。(となると尊皇攘夷の志士の出番がない。)これが上院的な動き。だが、実務については殿様の論議でしかない。そこで雄藩の各臣下が知恵を出し合って実際の政策を審議する下院的な組織ができたのではないか。開国を前提に、国防のために有能な人材を集めていくわけだ。ただし、そうなると、本当に優秀な下級武士の出番は難しくなるはずだ。
おそらく幕府がそのまま延命していたら、廃藩置県は行われず、国民国家化=近代化はかなり時間を要したと思う。阿部と島津斉彬の死は、それなりに必要なことだったのかもしれない。
もうひとり、保守派で不人気な井伊直弼の死も歴史の必然として入れておかなければなるまい。私は井伊直弼も、当時の幕府にあってかなり有能な政治家だったと思う。彼はボンボンではない。本書にもあるように、十四男で苦労して藩主になった変わり種である。そのへんの譜代大名とは覚悟が違う。
…てなことを再認識しながら読んでいるわけだ。
2015年5月20日水曜日
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