2015年5月10日日曜日

現代アフリカ経済論 学習ノート5

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「現代アフリカ経済論」(北川勝彦・高橋基樹著・ミネルヴァ書房/昨年10月15日発行)で学んだ内容のエントリーを続けたい。今日は、植民地支配が与えたアフリカ経済への影響についてである。

移民型植民地と小農型植民地における貧困の遺産の比較
ヨーロッパによる分割前夜から、アフリカはすでに輸出向け農業において比較優位を示していた。西アフリカでは、ガーナでカカオの栽培に参入したイギリス人農場経営者も、コートジボワールで強制労働の廃止後のフランス人農場経営者もアフリカ人農民との競争に直面し、衰退した。アフリカ人農民が要素賦存にうまく融合した土地粗放的な方法による生産に敗北したのである。一方、南アフリカにおいては金とダイヤモンドの開発で利益をあげるには労働コストを低く抑える必要があった。低賃金労働者を得るために政府は土地を収奪し、強制的に移住させ、借地農としてではなく不熟練の出稼ぎ労働者として働く以外にヨーロッパ人の所有する土地や鉱山や都市で働くことを禁止した。これでようやく鉱業で比較優位を得たのである。

富と所得の分配は「小農型」よりも「移民型」のほうが、現在も不平等なままである。移民型の代表である南ア、ジンバブエの実質賃金の低さは、「小農型」のガーナやウガンダ、中間型のケニアの比ではない。

アフリカの工業化が進まなかった理由
アフリカの工業化が進んでいない最大の理由は人口問題である。アジアのように人口が多くなく、労働集約型の工業のルートをたどることがなかったのである。とはいえ、アフリカ諸国が独立を達成した時点で、南アには大規模な製造業部門が存在していた。これは、鉱業で得た資金を製造業に回し、輸出代替工業を保護関税で守る南ア政府の政策の賜物であった。したがって、国内の消費者価格が世界市場価格を上回っていた。南アでさえ、工業は比較優位をもっていなかったわけで、他のアフリカ諸国にいたっては当然である。ところでサブ=サハラ・アフリカの人口は1900年から1960年の間に2倍に増加したと推定されている。就学率も、1950年~60年の間に2倍ないし3倍になっている。しかし、まだまだ高い質の労働者の供給には十分ではないという。

…比較優位という切り口で植民地支配が与えたアフリカへの経済的影響を考えるというのは、なかなか面白い。

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