2015年5月23日土曜日

現代アフリカ経済論 学習ノート6

タンザニア ドドマの農地のイメージ
http://flickrhivemind.net/Tags/dodoma/Timeline
「現代アフリカ経済論」(北川勝彦・高橋基樹著・ミネルヴァ書房/昨年10月15日発行)で学んだ内容のエントリー第6回。前回は、植民地支配が与えたアフリカ経済への影響について書いたが、イギリスの植民地時代に大失敗した開発政策「東アフリカ落花生スキーム」について北川勝彦先生(関西大学経済学部教授)が書かれたコラムから概要を紹介したい。

WWⅡ後、イギリス本国の食糧事情が悪化した時代、タンガニーカ(現タンザニアの大陸部)で落花生プランテーションを開発し、料理用の油を供給するという目的であった。ロンドンからのトップダウンの計画推進。ユニリーバの子会社・連合アフリカ会社のフランク・サミエルの発案だが、彼は現地の気候や土壌の知識を欠いていたし、社会的経済的インパクトのマイナス面を見落としていたし、ロジ(補給と調達)を過小評価していた。最悪である。調査チームも、地域の不毛性と低生産性は伝統的な農業慣行によるもので、西洋の技術で改良できるという傲慢な姿勢で、現地のワゴゴ人からも何の聞き取りも行わなかったという。

その結果は散々である。開拓地に選ばれたコングワ(画像にあるドドマの近く)は、ダルスからの鉄道に近かったが洪水に見舞われ、資材設備は港から泥道を運ばなければならなかった。砂と粘土の混じった土壌は乾くと固くなり、16台のトラクターが使用不能となり、シャーマン戦車を改造したトラクターがブッシュの上を碇用の鎖を引きずりまわしたという。1年目は、その他にも野生動物の攻撃、鉄砲水、設備の不足、意思決定の遅れ、機械の欠陥、運営の誤り、労働者の反発など様々な問題が噴出。わずか4000/15万エーカーしか開拓できなかった。1000トンの種子はわずか2000トンの落花生収穫にしかならなかった。

…今の開発は、周到な準備、現地の人々の意見や潜在力を重視しながら、持続可能な開発を目指している。このスキームは、その見事な反面教師になったわけだ。先進国とは、それだけの失敗を重ねているものだ。それにしても、と思うのは2015年という現在から見ているからだろうか。

…南アのバックパッカーズ(安宿)で接したアフリカ人の従業員たちは、(オーナーや客の)白人に絶対的な格差を感じていた。アパルトヘイトはすでに昔の出来事になっていたが植民地支配が与えたものの大きさを肌で感じたのだ。ふと、そんなことを思い出してしまったのだった。当然ながら、植民地支配による影響は、経済的な問題だけではない。

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