2015年4月18日土曜日

毎日 ケニアの難民キャンプ問題

http://pennsid.org/2013/03/entrepreneurship-in-the-worlds-largest-refugee-camp/
先日のアルシャバブによる大学襲撃事件を受けて、ケニア政府はダダーブ難民キャンプ(ソマリア人を中心に、5箇所に別れ、約35万人が収容されている)を閉鎖する意向を明らかにした。国連が別の場所に移さない場合、ケニア政府が移住させるという。国連は、再考を促している。

ケニア政府としては、この難民キャンプが、アルシャバブの温床となっていると考えているようだ。しかしながら、ケニア北東部にはソマリ系の人たち(250万人)が住んでいるし、インド洋沿岸のムスリムが多い地域、さらにはナイロビのスラムからもアルシャバブに参加している若者がいるのではないか、と言われている。

…「難民に罪をきせるな。」という人権団体の主張は正しいと私も思う。ロイター通信の「絶望し何もすることがない若者を戦闘員としてアルシャバブに差し出すことになる。」という懸念も正しいと思う。このダダーブ難民キャンプ、実は私が、2年前にユニクロのプロジェクトで本校生に古着を集めるキャンペーン(ハランベー・プロジェクト:ラベル参照)を行った時の送り先に私が指定したキャンプの1つなのである。いろいろ調べもした。周囲は、遊牧民が住む厳しい乾燥地帯にある。人間の安全保障の最前線のようなところである。ケニア政府の閉鎖・移住施策は、感情的すぎると言わざるを得ない。大阪でもそうだが、感情的で性急な施策は、新たな憎悪と対立を生むだけだ。

一方、地中海でもアフリカからヨーロッパに向かう密航船の中で、コートジボワールやマリ、セネガルなどのイスラム教徒が、ナイジェリアやガーナのキリスト教徒15人を海に落として殺したという記事も隣に載っていた。昨日のエントリーでも主張したが、宗教的な不寛容が、世界をおかしくしている。このケニアの難民キャンプ閉鎖問題の根底にも、不寛容がある。

宗教的不寛容の問題の奥には、グローバル化の中で進む経済格差による「余裕のなさ」が潜んでいると私は思う。アフリカ人同士で殺し合う不合理の影で、真犯人は別にいるはずだ。

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