佐藤優の「世界史の極意」(NHK出版新書・本年1月10日発行)を入手した。以前から気になっていたのだが、やっと手にできたという感じである。まだ序章しか読んでいないが、既に佐藤優の箴言がいくつか書かれている。
この本の趣旨は、アナロジカルに歴史を見ることが今、必要だということである。アナロジーというのは、日本語に翻訳すると「類比」となる。似ている事物を結びつけて考えることである。別の時代、別の場所で生じた別の状況との類比に基づいて理解する方法で、今の世界を見る=アナロジカルな世界史について書かれているわけだ。
佐藤優は、なぜこのような本を書いたのか。それは、知識人によるアナロジカルな世界史によって作り出される「大きな物語」に対して、日本人が禁欲的であり批判ばかりしてきたことへの反省である。たとえば、「民主主義や科学技術の発展が人々を幸せにする。」という大きな物語に対して、民主主義かナチズムを生んだ、科学技術が原爆を作ったというように、である。しかし今、日本には「大きな物語」を再構築する必要がある、というわけだ。
佐藤優は、「大きな物語」が提示されないゆえに、排外主義的な書籍やヘイトスピーチの氾濫が起こっていると言う。人間は本質的に物語を好む。知識人が「大きな物語」をつくって提示しなければ、その間隙をグロテスクな物語が埋めてしまう。
具体的には、「在日外国人の特権によって、日本国民の生命と財産がおびやかされている」というような稚拙でグロテスクな物語であっても、多くの人々が簡単に信じ込んでしまうようになるという。(P11)
さらに、安倍政権が日本の孤立をまねくような対応を繰り返すのは、アナロジカルな思考や理解が欠如しているからである。慰安婦問題について欧米の人々は「自分の娘や妹が慰安所で性的奉仕に従事させられたとしたら…」という思いでこの問題を見ているが、だから、かつてはどんな国ににも公娼制度があったと主張しても、それ自体が人権を踏みにじるものだと理解される。こうした類比的な思考を一切考慮せず「私たちは間違えていない」と言い張ったところで、国際社会からの理解を得ることはできない。言ってみれば、安倍政権は、コンビニの前でヤンキー座りをして、みんなでタバコをふかしている連中と同じ。仲間同士では理解しあえても、外側の世界が自分たちをどう見ているのかわからない。アナロジカルに物事を考える訓練をしていないと、外部の世界を失ってしまう。(P25)
…このあたりの文章を読んで、なるほどと膝を打ったのだ。
2015年4月25日土曜日
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