2011年12月13日火曜日

COP17にアフリカの格言を

Angelique Kidjo
先日の朝日新聞「私の視点」に、アンジェリーク・キジョーというベナン出身の歌手(彼女は2010年度ユニセフ国際親善大使である。)がCOP17について書いていた。なかなかいい記事だったので残しておいたのだ。COP17は終わったが、ちょっと紹介したい。一応趣旨をまとめてみた。

『私の好きなアフリカの格言があります。「象はどのように食べる?」。…答えは「一口ずつ」。』

この格言をCOP17に関わる人々が思い起こす必要がある。気候変動問題はあまりに大きく複雑すぎて、食卓にあがった象のように、どこから手をつけてよいか分らず、変化をもたらすことが不可能に思えるが、一歩ずつ前進することが大切ではないか。

まずは前菜。気候変動は現実のものであり、合意を先延ばしにできないこと、たしかも人類共通の問題であること、正義の問題であることの認識が重要。気候変動の最前線に立つ人々は、バングラディシュの洪水で浸水した平野に暮らす農民であり、ジンバブエの乾いた土地でどうにか生き延びようとする農民である。

次にメーンディッシュ。各国政府は排出削減に対する合意する行動。大幅に早急に削減しなければならない。先進国は野心的に、残りの国もそれぞれの目標をかかげなければならない。

さらにデザート。京都議定書を基盤とした新たな枠組みに関する合意。既存の枠組みから後退するのではなく、拘束力の最も強い法的な合意で危機に立ち向かわねばならない。

最後に、支払い。金融取引に非常に低い税を課す方法や、国際的な船舶・航空機よる排出に公正な炭素税を導入する革新的な選択もある。COP16で設置が決まった「緑の気候基金」の新たな資金源を絶やしてはならない。

毎日新聞WEBページより
COP17では、とりあえず2020年には先進国・途上国・京都議定書不参加の米中印など全ての国が参加して新たな枠組みがつくられることになった。
正直、私には二酸化炭素の削減が、バングラディシュやジンバブエの人々を本当に救えるのかよくわからないのだ。
COP17の報道を見ていると、マクロな立場で国益がぶつかりあっているという印象でしかない。環境に対して最も物分かりのよさそうなEUも、排出量取引市場の確保を狙ったとしか見えない。所詮、人間の業(カルマ:ごう)のような醜さを感じてしまう。

とはいえ、アンジェリーク・キジョーさんの言うように、マクロな問題もミクロな問題も、一口ずつ、一歩ずつ、困難でも対話を重ねていくしか方法はない。私たちは、日本人であり、ベナン人であり、アメリカ人であり、中国人であるかもしれないが、同時に地球市民であるのだから。

2 件のコメント:

  1. 記事興味深く拝見させていただきました。

    私も,二酸化炭素の削減が,困っている人々や地球環境を救う要素は少ないと考えています。貧困問題と回復不可能なレベルにいっている熱帯雨林の伐採の問題が急務だと思います。

    温暖化がこんなにはやっているのは,エネルギー問題と,それとパッケージになっている製造業が絡んでくるからだと思います。

    国や企業は,国益や株主の利益でしか動きません。
    なので,経済と絡んだ形でしか環境問題は動かないと思います。 

    しかし,国や企業は倫理的な面から自己アピールをするので,それが彼らの社会的責任を育てることになるのです。

    私は,そういう形ではありますが,環境意識は育っていっているので,一口ずつではありますが,着実に環境倫理は育っていっていると思います。
    ダーバンプラットホームにとても期待してます。

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  2. no-sonさん、コメントありがとうございます。
    環境問題はESDにとっても重要な課題です。長い年月をかけて、世界中の教育現場で、人権同様グローバルスタンダード化しつつあります。まずはそういう実存的な確立があってこそ様々な問題の解決に向かうような気がします。

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