ナイジェリア北部はイスラム圏で、南部はキリスト教圏である。民族も異なる。先日購入した「ラルース地図で見る国際情勢」には、この民族と宗教分布について、北部のムスリムのハウサ人、南東部のキリスト教徒のイボ人、南西部のヨルバ人は両宗教に分かれてるとある。このうち、石油資源に恵まれた地域に居住していたイボ人は、1967年に始まるビアフラ内戦を起こした。当時の首都はヨルバ人の多いラゴスで、南西部にあった。これはポールコリアーの言うように、宗教的な問題ではなく純粋な経済格差による紛争である。その後、ナイジェリアの首都は中央部のアブジャへ移動した。おそらくは、これらの民族融和を狙ったものと推測される。
ナイジェリアは、サブ・サハラ=アフリカで最も人口の多い大国である。石油収入も多く、インフラ整備や海外投資が進み、開発の真っただ中にある。最近のモバイル販売数でもアフリカNO1である。首都が変わったとはいえ、最も開発が進んでいる地域は、ギニア湾に面したラゴスを中心とした南西部である。
このボコ・ハラム、「ナイジェリアのターリバーン」と呼ばれている。ナイジェリア北部の各州で、シャリーア(イスラム法)の導入を訴えて武装闘争を行っている。今朝の毎日新聞の記事を良く見ると、このクリスマス礼拝テロは、北部の町、また南部との境界線上に起こっているようである。
ボコ・ハラム |
今回のテロは、そういう背景の中で、北部に住む少数派のキリスト教徒への粛清の意味があるのだろうか。
これらを遠い日本から非難することは容易である。だが、私はふとこんな事を考えた。尊王攘夷を唱えた下級武士を彷彿とさせると。紛争の罠は、貧困が根底にある。そこに宗教的なイデオロギーが結びつく時、正義とか大義が生まれる。暴力的な行為を容認するわけではない。ただ、ほんの150年前まで日本でも同じような状況だったということを確認しておいてもいいのではないかと思った次第。
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