雪の日の午睡を終えて、前から書こうと思っていたことを書こうと思う。(今月はどうも1日2回更新が多い。)DoDoWorldNewsの話である。先日もちょっと紹介したが、これは、道祖神という旅行会社が発行している月刊誌で、私はこの会社のツアーに参加したわけでもないのだが、度々講演会(早川千晶さんが来阪したり、アフリカ・カルチャー講座など)に参加するので、送ってくる。1週間ほど前に自宅に届いたのだが、ここに、いい記事が載っているのだ。それは、沢木耕太郎の寄稿である。以前、10月2日付ブログで、「(沢木耕太郎の)深夜特急アフリカ編が見たい」と書いたことがある。まあ、私のちっちゃな夢が実現したわけだ。タイトルは、『心を残して、モロッコ』である。
「私が二十代のなかばにユーラシアの端から端までの旅をしたとき、行き当たりばったりのルートを選択をしていた中で、さてどうしようと迷ったところが何カ所かあった。とりわけ悩んだのがスペインのマラガにいるときだった。このまま最終目的地であるロンドンに向かおうか、海を渡ってモロッコに行こうか迷ったのだ。」
「それから長い年月が過ぎ、ことあるごとに、あのとき、あそこでモロッコに行っていたら旅はどうなっていただろうと考えるようになった。心に残る、という言葉がある。それとよく似た言葉に、心を残す、というのもある。心に残るという言葉が、あるものが自分の心に棲んでしまうことだとすると、心を残すというのは、自分の心をある場所に残し、棲まわせてしまうことだと言えるかもしれない。私は行ったことのないモロッコに「心を残して」しまったのだ。そうである以上、いつかはその心を引き取りに行かなくてはならないはずだった。そして十年ほど前、ようやくその機会が訪れた。」
引用が長くなったが、沢木は、マラケシュに行く。マラケシュは当時ヒッピーの五大聖地と呼ばれた都市であった。五大聖地はちなみに、カトマンズ、ゴア、カブール、イスタンブール、マラケシュである。深夜特急の本編では、カトマンズ、カブール、イスタンブールは旅しているが、ゴアの記載はない。(気になったので書庫に確認に行った。)本編では、バラナシ(当時はベナレス)でかなり死を見つめ、沢木は体調を壊している。デリーからそのままシルクロード経由でイランに向かうのだが、今回の文章から、本来は、南インドのゴアに向かう”つもり”だったと思われる。マラケシュもそういう流れの中で、心を残したと推測される。沢木は、五大聖地をめぐりたかったのだろう。
沢木は、マラケシュを訪れ、サハラ砂漠のロッジに滞在する。そこで、ラクダに乗って2泊3日のツアーをしないかと言われる。それを断ったことに、後悔しはじめている。そしてラストの文章が続く。
「こうして、私は、モロッコに残した心を拾いにいって、また別の心残りを作ってしまっていたのだ。だが、それでいいのかもしれない。「心を残して」おけば、またいつか行くことができるかもしれないから。」
ああ。いいなあ。私は沢木耕太郎の文章が大好きだ。こんな文章を書けるようになりたいものだ。ところで、私が「心に残した」場所は、どこか考えてみた。沢山あるのだが、やはりベスト3といえば、東アフリカのケニアであり、南アフリカのジンバブエであり、西アフリカのブルキナファソである。では、「心を残した」場所とはどこだろう。実は、2つある。1つは、アメリカのオハイオ州デイトンである。ライト兄弟の故郷で、米空軍航空博物館がある。ここで、ゴブリンという実験機を生でなんとしても見たい。もう1つは、タンザニアのアルーシャである。遠くキリマンジャロを望みながら、ウジャマー社会主義の夢のかけらを見たい。両方とも、一時かなり真剣に旅の計画を練ったことがある。
「心に残した場所」と「心を残す場所」…読者の皆さんにとってはどこでしょうか。よければコメントを下さい。
2011年2月11日金曜日
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心が赴く場所だったら大切な人が住んでいる韓国や台湾です。
返信削除沢木耕太郎の深夜特急を全巻読んで思うのは
何が正しくて何がよいのか国によって価値観が異なり正解はひとつではないということです。
Unknownさん、コメントありがとうございます。沢木耕太郎の深夜特急には、様々な命題が含まれているように思います。異文化間の価値観の相違もその1つだと思います。マレーシアの方に全巻読んでいると聞き、それが何より嬉しいです。
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