2011年2月13日日曜日

ヒコーキ少年という過去

全米 航空博物館 のイラスト地図
12月2日のブログで、サウスダコタの航空博物館のことを書いた。私は、アフリカの研究に入る前はアメリカの研究をしていた。研究と言っても、6回渡米して、アホほどアメリカ関連の本を読んだくらいだが…。最初の海外が35歳の時の視察旅行で、行き先がアメリカだったということからそうなったのだが、そもそも我々昭和30年代生まれは、アメリカナイズ=善の時代に幼年期をすごしている。TVのマンガは、どら猫大将やトムとジェリー、ポパイだったので、あのアメリカ風の金属のゴミ箱とか、長めのスイカとか、まだ食べた事はないが憧れとなったハンバーガーとかに強い属性を持った。あるいは、TVドラマ・奥さまは魔女のダイニングの冷蔵庫や掃除機を見てビビっていたもんである。なかでも、少年の憧れは、アメリカのヒコーキだった。
 小学生向けの航空機図鑑やヒコーキ本は私の愛読書だった。特に戦闘機は美しかった。そのころベトナム戦争があって、ガンガンとジェット戦闘機が開発されていた。そういうことと全く無関係に、プラモデルをよく作った。プラカラーなどでカラーリングまでするようになった。というわけで、プラモデルを作った戦闘機などにアメリカで出会うと、心臓が止まるくらい幸せを感じるのである。アメリカには、たくさん航空博物館があり、平和教育とかとは全く別次元で、あくまで少年時代からの趣味としてアメリカにいくと必ず寄るのである。
イントレピッド航空博物館

 特に好きだったF4ファントムとA6イントルーダ―には、NYCのイントレピッド航空宇宙博物館で出会った。この博物館、古い空母がそのまま博物館となっている。ハドソン川岸であまり治安の良くないところにあるので、メジャーな観光地ではないが、私にとっては「心に残した」場所のひとつである。  
 先日(2月11日)話題にした「ゴブリン」というヒコーキ。正式には、XF85という実験機で、B36ピースメーカーという6発プロペラ+4発ターボジェット4発の爆撃機に、搭載される予定だった寄生ジェット戦闘機なのである。つまり、当時はプロペラ機からジェット機化する過渡期の時代で、B36もたいがい中途半端なヒコーキなのだが、この爆撃機を援護する航続距離の長いジェット戦闘機など到底なく、B36の機体内にジェット戦闘機を積み、いざとなったら発進させるというプランが生まれたのである。それが、XF85「ゴブリン」なのである。
XF85 ゴブリン
ヒコーキから発進するヒコーキ。SFみたいな話だが、本当である。コードのXは実験機、Fは戦闘機を意味する。そう、結局実用化できなった「珍ヒコーキ」なのである。私は、この「ゴブリン」のことを、ちょっと背伸びした大人向けのヒコーキ雑誌を眺めていて知った。この雑誌も、月1回近所で開催される「夜店」の古本屋で買ったものである。30円くらいだったハズだ。時代を感じる話である。40年以上前から「心を残している」わけだ。(笑)

 ところで、アメリカの軍用機、昔はネーミングの妙がある。「ピースメーカー」なんて爆撃機、悪い冗談としか思えないし、「ゴブリン」もまたそうである。 

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