2010年6月29日火曜日

子供嫌いのアメリカ文化


 街場のアメリカ論という文春文庫を読んでいる。ちょっとばかし胡散臭そうなアメリカ論なのだが、著者の知的水準と筆力で読ませてくれる。この内田樹という人、神戸女学院大の教授らしい。アメリカが専門ではないのだが、(十分専門的知識があると思うが…)いや専門でないからこそ語れるアメリカ論だという。なかなか面白い。池上彰的「そうだったのか」の対極にあるアメリカ論かもしれない。

 私が特に面白く読ませてもらった箇所をちょっとだけ書くと、『アメリカン・ヒーロー(スーパーマン・バットマン・スパイダーマン)は、理解されない。』特殊な能力をもつ白人男性が、スーパーな本性を見せることを禁じられ市民的な偽装生活を送ることを余儀なくされおり、どういうわけか活躍しても誤解される。このイメージは、国際社会の中のアメリカ人の投影であるとの著者の見解。面白い。

 アメリカというより、『欧米では古来、子供は悪である』と見られていたこと。人間は罪深いものであり、子供最もその原始の姿に近いゆえに矯正されるべき者、あるいは親の所有物という観念を、アブラハムのイサク生贄の話や、チャーリーとチョコレート工場などの映画から説く。なるほど。そういえば、アブラハムのイサクの話にもなんら逡巡がない。チョコレート工場の映画は先日TVで見て、あまりにガキどもがかわいくないので、私は途中で見るのをやめた経験がある。面白い視点である。

 一方で、アメリカと日本の関係を見事なねじれ現象で説いている。右翼が日米安保を堅持しつつ自主憲法制定を主張し、左翼は日米安保破棄を訴えながら、憲法9条を守れと戦う。まさにねじれている。最近は、安保破棄、自主憲法制定などという右翼らしい右翼も出てきたみたいだけど…。勝谷誠彦のことやが…。

 こういう様々な角度から論じる評論を読んでいると、まだまだ勉強が足りないなあと思うのである。でもまあ、アメリカ人にこの視点から討論したとすると、絶対喧嘩になると私は思うなあ。

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