2010年6月12日土曜日

W杯である。呪術師も忙しい。


 南アで歴史的なW杯が開幕した。南ア大統領が、これは南アフリカでのW杯ではなく、”アフリカ”のW杯であると言ったことを、私はたとえそれが政治的な発言であったにせよ、嬉しい。あのジンバブエのムガベが首都ハラレに大画面の応援会場を設定したとか。たとえそれが政治的なパフォーマンスであったにせよ、良いことだと思う。新聞には、これを機会に様々なアフリカの報道がなされている。たとえそれが一時的な流行であったにせよ、悪いことではない。ただ貧困やマイナスイメージのものが多い。アフリカにこれまで関心をもってこなかった一般の記者なら、そうならざるを得ないのかもしれないが…。すくなくとも、アフリカの人々への親愛の情がにじみ出る報道を期待したいところである。

 さて、何かの番組でカメルーン戦に呪術師がナショナルチームに同行しているとの報道があった。私は、たしかにあり得るし、なかなか楽しいと思った。また、南アでも様々な呪術師が南アやアフリカ各国の勝利を祈祷しているとのこと。なるほど、なるほどと私は思った。アフリカでは、こういった伝統的呪術がまだまだ盛んである。誤解をおそれずにいうと、日本における神社での勝利祈願のようなものである。あまり興味本位にセンセーショナルに報道して欲しくは無い。今日は、その事を強く訴えたい。


 <今日の画像は、ヨハネスブルグの呪術用品の店である。ちょっとレアな写真である。入った時私もかなり衝撃を受けた。>アフリカの呪術は、精霊の降臨というシャーマニズムが多い。これを野蛮だなどと決めつけて欲しくは無い。病気の快癒を願い、悪霊を祓うのが「白魔術」と呼ばれるものである。まあ”北斗の拳”的に言えば”シュウ”になる。この能力は裏を返せば「黒魔術」になる。病気を起こす、悪霊を入れ込むわけである。実は、これはアフリカ各国では、公的に禁止されている。「黒魔術」を行ったり、依頼しすることは犯罪行為なのである。ところで呪術に使用するアイテムは、かなりアフリカ的で興味深い。動物の頭蓋骨とか、よくわからい香料とか、様々なアイテムが今日の画像の店では売られていた。私は、もう単純に興味深かったし、関連の本も少し読んだ。ブルキナでも、やはりこういう呪術への信頼は高く、Iさんの話によると、村の入り口にひょうたんが置いてあったりするそうである。荒熊氏によると、アフリカの文化人類学を研究している人々の中で、呪術研究者はマジョリティだそうである。

 重ねて言っておきたい。日本だって幕末に島津斉彬の息子を、お由良(父斉興の側室、久光の母)が呪詛したとか、まことしやかに語られている。呪術は決して野蛮でもなんでもない。一つの文化である。ばっさりと切り捨てるのはやめて欲しい。それはアフリカの文化への欧米的先進国の高慢ちきな”上から目線”である。

2 件のコメント:

  1. 『運も実力もうち』 といいますが、まさにそうであると、
    最近しみじみと実感します。
    日本のサッカーには、何が足りないかという特集を見ました。
    「言語力」 が日本チームには足りず、チームで意見がばらばらになってしまい、統率が取れないというものでした。
    意思の疎通や、自分たちが信じているものが共通なものであれば、確かにチームとしての団結力が生まれ、技術以外の面で強くなれるということに、思わずうなずいてしまいました。
    自分の気持ちを分かりやすく相手に伝えるー 簡単なようでとても難しいことだと思います。

    社会人になれば当たり前に必要な技能ですが、まさに今私にはそれが問われているのだと実感しました。

    勝ちたいという気持ち以外に、魔術でも呪術でも、日本チームを何か一つに出来るものがあれば、ベスト4も夢じゃないかもしれませんね。

    返信削除
  2. そうやねえ。『言語力』か…。そうそう、新しい本校のパンフレットの基本コンセプトは、「全てはコトバから始まる」にした。K老師が、私の最初のコンセプトにちょっと手を加えてくれて出来たものである。また、パンフレットのこともブログに書くね。

    返信削除