2010年4月18日日曜日

私の下足札は51


 今日は、愚妻にせがまれてお風呂に行って来た。新しくできた高速道路沿いに走ると、いつも行くN温泉に一気に行けることがわかった。で、靴を入れる。私の下足札の番号は51である。脱衣所でもロッカーは51である。51が空いていない時は少し不機嫌になる。そう、51はイチローの背番号である。私は別に贔屓の野球チームはないが(アンチ巨人であり、親阪神であるが、ファンだとは自任していない)、イチローだけは大好きなのである。
 そのイチローが、先日背番号42を着けていた。というより全メジャー・リーガーが42を着けていた。初の黒人メジャー・リーガーであるジャッキー・ロビンソンを記念してのことだ。(4/15は彼のデビューの日である。彼の背番号42は、所属チームだったドジャースのみならず全球団の永久欠番になっている。)
 この様子を見て、私はサチュル・ペイジのことを思った。<今日の画像はサチュル・ペイジその人である>昔、「史上最高の投手はだれか」という文庫本を古本屋で見つけ読んだ。二グロリーグという黒人だけのリーグで、2000勝以上をあげたという凄い投手だ。投球練習の際、ホームベース上に置いた煙草の箱の上をボールが通過するほどコントロールに優れていたらしい。まるで星飛雄馬である。しかもすごい速球で、170kmはでていたのではないか、と言われている。
 しかし、ペイジは少し生まれるのが早かった。、「史上最高の投手はだれか」の冒頭は、ペイジ記念球場と呼ばれるボールパークを探しに行くところから始まる。しかしそれは、ほぼただの原っぱだったのだった。これほどの投手でありながら、活躍したのは二グロリーグ(実力はメジャーより上だったという説も強い)であり、ペイジもメジャーデビューするのだが、42歳では遅すぎた。それでも46歳で12勝を挙げている。岩田鉄五郎もまっ青である。悲運の人なのである。なんと野球殿堂に入ったのが、1971年であった。
 私は、ジャッキー・ロビンソンを悪く言っているつもりはない。彼も初の黒人メジャーとして苦労したらしい。だが、その陰にこんな凄い人がいたということを知っていてもいいんじゃないかと思うのである。人生は光の当たる場所に立つこともあれば、陰で判ってもらえる人だけにわかってもらえる場しか与えられない場合もある、ということである。
 そんなことを考えて露天風呂に入っていると、阪神:横浜戦の中継をTVでやっていた。あの金本がベンチにいた。…連続全イニング記録が途絶えたのだった。

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