創世記において、「神(エロヒーム)」と「ヤハウェ」という異なる表現が用いられている。この二系統の区別と、その後、「ヤハウェ」を用いる部分でも申命記は用語的、思想的に他の部分から区別された独自のまとまりをなすことが認識され、他方創世記で「エロヒーム」を用いる部分でも、相互に全く異なる特色を持つ二つの系統に分けられること(ただし、両者ともモーセ時代以降については「ヤハウェ」をも用いる)、しかもそのうちの一方は内容的特徴から職業的な祭司の手によるものであることがわかった。以上のことから19世紀後半20世紀後半にかけてドイツの聖書学者たちによって、「四資料仮説」が確立した。
長い間口伝で伝えられてきた素材を元に最初から「ヤハウェ」を用いる文書資料(J資料)がダビデ・ソロモン治下に成立。これにやや遅れて、普通名詞の「エロヒーム」を用いる文書(E資料)が分裂王国時代の北王国(=イスラエル)で成立した。族長物語ではヤコブの内容と北部伝承が多い故である。
申命記は、法典を囲むカタチでモーセの説諭が組み込まれている。南王国末期のヨシヤ王の祭儀改革時に関連して成立したD資料(Dはギリシア語の申命記:Deuteronomiumから)が第三の資料。第四の資料は、祭司によるものとされるP資料(Pはドイツ語の祭司:Priester)で、捕囚時代から第二神殿時代に成立したと考えられている。安息日や割礼、過越祭等の祭儀的習慣の神学的意味づけに強い関心が寄せられている。
この「四資料仮説」は、ほぼ定説化したのだが、様々な批判も寄せられているようである。(モーセ五書の成立/山我哲雄)
…これまでの私の理解は、まだまだ浅かったと言わざるを得ない。こういうトリビアな知識は実に興味深いのだが、どうも竹田青嗣氏とニーチェの著作を呼んだ直後なので、しょせん「物語」ではないかという諦観がある。しかもこれらの無謬性を主張する向きには、ちょっと理解しがたいところがあるというのが感想である。
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