2025年9月24日水曜日

旧約聖書のトリビア知識3

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『月刊言語』の2003年12月号、旧約聖書の世界という特集から、印象に残った記述のエントリー第3回。旧約聖書のネビイーム(預言者:ナービーの複数形)について。

旧約聖書の預言書の部分をネビイームと称し、通常歴史書に分類されるヨシュア記、士師(しし)記、サムエル記、列王記が最初にある。これらを「前の預言者」(ネビイビーム・リショーニーム)といい、その後のイザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書の「3大預言書」さらに後に続く「十二小預言書」を合わせて「後の預言者」(ネビイビーム・アハロニーム)と呼ぶ。

これら預言者の特質について、エリヤ、エリシャといった「前の預言者」は、行動に中心があり、「後の預言者」では、言葉にその中心がある。さらに、「預言」は、あくまでも現実の歴史に関わるものであることで、「諸書」に分霊されるダニエル書の「黙示」(歴史にかかわらない幻が多く記されたもの)とは一線を画す。

M・ウェーバーは、『古代ユダヤ教』の中で、社会学的な視点から、古代イスラエルの預言者の活動について周辺のオリエント世界に見られる現象との共通点を認めつつも、独自性に着目している。すなわち、「契約共同体」に基づく国家批判の伝統こそが預言者たちの活動であると。士師時代、軍事的カリスマをもつ指導者が危機の時代に民を率いたが、王国制度が確立すると常備軍が組織されてくる。この変化が、非軍事化された士師的存在を古典預言者の社会的背景になったとするのである。彼らは軍事力ではなく「言葉の力」を用いて、王ないし王国がヤハウェとの契約に反する政策を取る時、これを厳しく批判することになったとしている。

最初の古典預言者とされる紀元前8世紀半ばの北王国のアモスであるが、その影響を最も大きく受けたのが8世紀後半の南王国・エルサレムで活躍したイザヤ(上記画像参照)である。イザヤ書は、第一イザヤ書、紀元前6世紀のバビロン捕囚末期に活躍した無名の預言者に関わる第二イザヤ書、帰還後の第三イザヤ書に別れる。第一イザヤ書のイザヤは、ウジヤ王の没後に活動を開始し、アッシリアの侵略危機に対し、シリアと共に軍事的に対抗しようとする王に「落ち着いて静かにしていなさい。」とヤハウェの言葉を告げ、ヤハウェではなく、軍事同盟という人間の力に頼ることを批判(イザヤ7)、後にエジプトの軍事力に頼ろうとした王にも、これを批判している。(イザヤ31)これらは、イザヤの未来確信である。イザヤ書には、「メシア預言」と言われるテキスト(イザヤ11)もあり、ドイツの有力な旧約学者W・H・シュミットは「預言者たちは今日から明日を見るのではなく、明日から今日を見ている。」と預言者の本質を語っている。

https://www.meisterdrucke.jp/fine-art-prints/Michelangelo-Buonarroti/84503/
エレミヤ(上記画像はミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画)の預言活動は、南王国でイザヤの1世紀後になる。当時の南王国はかなり力を回復していたので、新バビロニアの脅威を訴える彼の言葉は奇異に感じられ、迫害を受けた。上から下への預言活動ではなく、下から上に語る新しいカタチの預言活動であった。また、エレミヤの預言活動は、「契約」ということへの言及で、出エジプトにおけるシナイ契約を自ら破っている(エレミヤ2-23/11-4)という旧約の根本を揺るがす事態であったが、晩年、「新しい契約」という神の言葉を聞く。(エレミヤ31ー31)石の板ではなく、彼らの心のなかに記される律法である。ちょうどヨシヤの宗教改革で、「ヤハウェを知れ」と言う必要がかくなり、最後に神の赦しということが記される。このことが後の「旧約聖書」「新約聖書」という名称の典拠の1つになる。

エゼキエル(上記画像参照)の預言活動は、紀元前6世紀バビロン捕囚の中で行われた。苦難の中、彼の希望の言葉でイスラエルの民は耐えれたと言われている。彼は「召命」を説き神の言葉を熟読玩味すること、また「象徴行為」(れんがを1つ取って眼の前に置き、その上に都であるエルサレムを刻みなさい等)を説いた。(預言活動とはいかなるものか/大島力)

…これらの預言者の詳細について、高校の倫理等の授業で触れる機会は極めて少ないと思う。だが、今まで以上に預言者について語る時には、さらなる深みを持てるだろう。そう、100の見識を50くらいで教えるのが理想のような気がする。

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