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旧約聖書の預言書の部分をネビイームと称し、通常歴史書に分類されるヨシュア記、士師(しし)記、サムエル記、列王記が最初にある。これらを「前の預言者」(ネビイビーム・リショーニーム)といい、その後のイザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書の「3大預言書」さらに後に続く「十二小預言書」を合わせて「後の預言者」(ネビイビーム・アハロニーム)と呼ぶ。
これら預言者の特質について、エリヤ、エリシャといった「前の預言者」は、行動に中心があり、「後の預言者」では、言葉にその中心がある。さらに、「預言」は、あくまでも現実の歴史に関わるものであることで、「諸書」に分霊されるダニエル書の「黙示」(歴史にかかわらない幻が多く記されたもの)とは一線を画す。
M・ウェーバーは、『古代ユダヤ教』の中で、社会学的な視点から、古代イスラエルの預言者の活動について周辺のオリエント世界に見られる現象との共通点を認めつつも、独自性に着目している。すなわち、「契約共同体」に基づく国家批判の伝統こそが預言者たちの活動であると。士師時代、軍事的カリスマをもつ指導者が危機の時代に民を率いたが、王国制度が確立すると常備軍が組織されてくる。この変化が、非軍事化された士師的存在を古典預言者の社会的背景になったとするのである。彼らは軍事力ではなく「言葉の力」を用いて、王ないし王国がヤハウェとの契約に反する政策を取る時、これを厳しく批判することになったとしている。
最初の古典預言者とされる紀元前8世紀半ばの北王国のアモスであるが、その影響を最も大きく受けたのが8世紀後半の南王国・エルサレムで活躍したイザヤ(上記画像参照)である。イザヤ書は、第一イザヤ書、紀元前6世紀のバビロン捕囚末期に活躍した無名の預言者に関わる第二イザヤ書、帰還後の第三イザヤ書に別れる。第一イザヤ書のイザヤは、ウジヤ王の没後に活動を開始し、アッシリアの侵略危機に対し、シリアと共に軍事的に対抗しようとする王に「落ち着いて静かにしていなさい。」とヤハウェの言葉を告げ、ヤハウェではなく、軍事同盟という人間の力に頼ることを批判(イザヤ7)、後にエジプトの軍事力に頼ろうとした王にも、これを批判している。(イザヤ31)これらは、イザヤの未来確信である。イザヤ書には、「メシア預言」と言われるテキスト(イザヤ11)もあり、ドイツの有力な旧約学者W・H・シュミットは「預言者たちは今日から明日を見るのではなく、明日から今日を見ている。」と預言者の本質を語っている。
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…これらの預言者の詳細について、高校の倫理等の授業で触れる機会は極めて少ないと思う。だが、今まで以上に預言者について語る時には、さらなる深みを持てるだろう。そう、100の見識を50くらいで教えるのが理想のような気がする。
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