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キリスト教は、ユダヤ教を全面的に否定したのではなく、受け入るべきものは受け入れた。キリスト教の聖書の成立過程について段階的に述べられている。実に有為な解説であると思う。
1:律法を否定する段階 イエスは「神の支配」という原則を打ち出した。当時のユダヤ教は、「神殿と律法の支配」となっていた故に、イエスは基本的に律法を否定した。”律法に決められているから正しい。”という律法主義的な議論を基本的に認めなかった。律法に依拠した議論が新約にも見られるが、この姿勢を変えていないし、神の支配を語るために、”たとえ話”を多用している。また律法の規定や字句ではなく、その意味や精神について議論している。
2:ユダヤ教の聖書をそれなりに価値あるものとして用いる段階 しかしながら、イエスの死後、初期キリスト教では、伝導の主な対象はユダヤ教徒であるが故に律法の様々な箇所を利用された。ユダヤ教の主流との対立を避けるためであり、また実際的に有効だったからである。
3:キリスト教の側である程度以上のまとまった文書が作成されるようになった段階 最初の権威ある文書・マルコ福音書は、「書かれた律法」(前述のモーセ五書など)を重んじるユダヤ教のグループから生じたと考えられる。故に、マルコ福音書は書かれた律法の権威を認めるものであったし、当時キリスト教の主流であったイエスの教えや振る舞いについての口伝の情報に権威を認めてしまうと、「神の支配」の前に介入する「有力な指導者たちの支配」が生じる。ゆえに「書かれたもの」の権威が口伝に対置されたといえる。
4:ユダヤ教の聖書がキリスト教徒側でも、ユダヤ教においてと同様に権威あるものとして用いられ、またキリスト教独自の文書と同じように権威あるものとする態度が生じてくる段階 1世紀の末になるとギリシア語圏のキリスト教徒の間で、マルコ以外の福音書やパウロの書簡などが次第に権威をもつようになる。キリスト教の分離独立した際、ユダヤ教の律法を全面的に否定するかどうかという問題が生じた。ユダヤ教の口伝律法(25日付ブログ参照)など細部まで尊重する理由のないキリスト教徒は、「書かれた律法」だけが権威あるものとされるようになる。
5:マルキオンの聖書の成立 2世紀のキリスト教には、旧約聖書も含めて、ユダヤ教の律法の全体を否定しようとする流れも存在した。ルカ福音書とパウロ書簡だけをキリスト教の聖書としたマルキオン派はその代表的立場である。
6:旧約聖書・新約聖書がキリスト教の聖書として確定する段階 旧約聖書のすべてがキリスト教にとって有用ではなかったが、”有用な文書だけを抜粋した文書集”などにを権威あるものとはできず、故にすべてを権威あるものとして認めざるを得なかった。
…3のマルコ福音書については、イスラム教のクルアーンとの関係性が認められることを、24年6月24日付の「コーランの中のキリスト教」でエントリーした。律法を重視するキリスト教徒とムハンマドの関係性の話である。
…5のマルキオン(上記画像参照)について調べてみた。正典という概念を生み出した人で、異端とされたのだが、イエスをユダヤ教のメシア(=政治的指導者)ではなく、神によって派遣された存在で人間性や処女懐胎を否定した。さらに旧約の神とイエスの示した神は違うこと、よって旧約聖書は必要がないと主張した。実に興味深い人物である。
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