2025年9月25日木曜日

旧約聖書のトリビア知識4

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『月刊言語』の2003年12月号、旧約聖書の世界という特集から、印象に残った記述のエントリー第4回。今回は、ユダヤ教の見識について、まだまだ不勉強であることを強烈に感じたことについて。

これは、私にとっておなじみの千葉大の加藤隆先生の「新約聖書にとっての旧約聖書」を読んでいて発見したことである。それは、口伝律法の存在である。モーセ五書のような文書になった律法=書かれた律法ではなく、ラビたちによって口伝で伝えられたもので、ユダヤ教では書かれた律法の意味を説明し明らかにするものとして権威があった。2世紀になって、民族の危機(ディアスポラ)に際してこれら口伝律法が書き記されることになった。それが「ミシュナ」である。加藤論文には、ミシュナについての記述があっただけなのだが、さらに口伝律法について調べてみた。

…すると、極めて重大なことが判明したのである。私は、これまで倫理の授業で、「タルムード」の存在について長く語ってきた。ユダヤ教について極めて重要な文書だからである。このタルムードのホンモノを見たのは、NYCのユダヤ博物館で、非常に感激した。新聞記事のように、その中心に記述があり、その周囲にさらに記述が犇めいている(上記画像参照)。ネットなどがなかった昔、タルムードはこういう構成になっていることは新鮮な驚きだったのだ。私は、律法の解説書(そういう記述を何かの書で学んだ。)としてタルムードを理解してきた。よって、この中心の記述は、モーセ五書の「書かれた律法」で、ラビたちがそれに様々な注釈を加えていると理解していたのだが、これは口伝律法の「ミシュナ」だったのである。教え子諸君に嘘を教えた訳では無いといえるのだが、口伝律法という概念は今の今まで認識していなかった。ちなみに、このミシュナの周囲の記述はゲマーラーというそうだ。いやあ、衝撃的な事実だったのである。加藤先生の論文については、後述するとして、衝撃の1日だったことを記しておきたい。

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