2010年4月17日土曜日
ブルキナのサヘルで井上陽水
突然であるが、私は70年代フォークの徒である。拓郎・陽水・かぐや姫で青春を過ごしてきた。今朝、いきつけの内科へ糖尿の薬をもらいに愛車を運転していると、陽水の曲が流れてきた。愚息が入れてくれたMDで、いろんなアーティストが陽水の名曲を歌っている。この中では私はユーミンの「とまどうペリカン」と清志郎の「少年時代」が好きだ。ふと、今日のブログで陽水の「東へ西へ」の話を書こうと思った。
「東へ西へ」という曲にはいろいろ思い出がある。高校時代にみんなで歌った思い出が最も古いが、5年ほど前に、今は某高校の教頭になっているS先生にさそわれて、今年転勤したM先生と共に、文化祭で『きのこのたね』というグループを結成して生徒の前で歌ったことがある。S先生が、この歌を当時3年生だった担任していた生徒に贈ったのだった。「ガンバレ!みんなガンバレ!」のフレーズを熱唱していた。この時私はパーカッションでジャンベ(アフリカのドラム)をどついていた。そう、この時私は、数人の生徒といっしょに”ジャンボ・バナ”(2月16日のブログ参照)を歌ったのだった。
で、今日の本題である。最も最近「東へ西へ」を人前で歌ったのは、ブルキナの北部、サヘル(サハラ砂漠の南縁)の村である。<今日の画像はその時の様子である>写真左からトァレグ人で遊び人のアルベリー、英語もしゃべれる観光ガイドのオマーン、そして運転手のズゥレである。彼らと首都のワガドゥグからやってきた。アルベリーは、オマーンの友人でギターをつま弾きながらトァレグの歌を歌ってくれた。さすがに遊び人だけあって、歌が済むとさっさとホテルのトァレグと話し込んでいた。オマーンもギターを弾くようで、ポロポロと弾いていたが、私に日本の歌を教えてくれと頼んできた。将来日本人観光客が来た時に歌うのだという。そこで私が歌ったのが、「東へ西へ」だった。ネックが太くてもAmとE7とGくらいで弾けるからだが…。オマーンは、「ガンバレ!みんなガンバレ!」のフレーズが気に入り、何度もアンコールしたのだった。一応「ガンバレ!みんなガンバレ!」については意味を伝えた。他の歌詞は陽水のシュールな世界なので訳せなかったが、まあいい。オマーンは喜んでくれたのだから。
サヘルからの帰路、自転車で長い坂道を汗だくでこぐ人々を見た。「ガンバレ!みんなガンバレ!」と心の中で歌ったら、なぜか涙が出た。オマーンが私の様子に気づいたようで、「どうした?」と聞いてきた。ブルキナべの貧困や苦労や将来への希望のなさや…全ての重いものが私の感情を一気に刺激したのだと思う。うまく英語で伝えられなかったが、オマーンは、「あたりまえのことだ。我々はあたりまえのことをあたりまえにしている。私も今は4WDに乗っているが、ああやって自転車をこいでいた。」と言ってくれた。
前回のブルキナの旅で学んだことは多い。アフリカの人々に学ぶことは多い。あたりまえに生きる…重い言葉だと私は思う。だから、簡単に「ガンバレ!みんなガンバレ!」などと言ってはいけないのだ。
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「あたりまえのことだ。我々はあたりまえのことをあたりまえにしている。私も今は4WDに乗っているが、ああやって自転車をこいでいた。」という言葉、心を打たれました。
返信削除そしてブログを見終えた後になぜかウィトゲンシュタインなど読んだこともないのに「語りえぬものについては沈黙しなければならない」という言葉が頭に浮かびました。
あたりまえのことをあたりまえに。日本人はその意味を誤解しているのかも知れません。
そう、そのとおりです。国際理解教育をやるうえで、一番重要なことです。また持続可能な世界をめざす、地球市民として共生していこうと訴える上で、一番重要なことなのです。
返信削除哲平さんの言うウィトゲンシュタインのアフォリズムは、言語の形而上学的な限定性について述べた”コトバ”ですが、しみますねえ。素晴らしいコメントありがとうございます。
でも、語っていかねばなりません。授業でこの話をするときは、感情を抑えきれなくなるのですが、うまくいえなくてもなんとかして伝えたいと思っています。
「でも、語っていかねばなりません」。格好いいです。覚悟と勇気、使命を感じます。
返信削除私も自分の仕事にそこまで誇りを持てるようになりたいです。
『あたりまえのことをあたりまえに』ブルキナベが発する言葉だからこそ重みのある言葉だと思います。日本では義務教育を受けられる子どもの割合は100%。学校に行くことが100%の国で、私はあたりまえのように学校に行って不平不満を言っていました。でも全世界で義務教育を受けられる子どもの割合は13%。たったの13%です。日本という小さな世界の中で生きていると想像もできない数字ですよね。でも私たちが『あたりまえ』と思っていることが、本当はとても『特別』なことだったことに気付きました。
返信削除ブルキナ北部の村になにげなく立ち寄った時、寄ってくる子どもたちの発した言葉『ボールペンちょうだい』『…なんで?』『学校で勉強するため』。ブルキナに来て初めてお金と食べ物以外の物をねだられ、ハッとさせられました。ボールペンを持っておらず、断ることにすごく後ろめたい思いをしました。
出生は選ぶことができず、その環境で人は生きていかなければなりません。情報や物にあふれた日本で生まれた私たちから見れば、貧しいブルキナの人たちは『かわいそう』なのかもしれません。それでもこの国で生まれ、何もないのが『あたりまえ』のこの国の人たちにとっては、それが自然であり、日常なのです。むしろこの国の人たちの楽しそうな表情を見ていると、とても幸せそうです。
何が幸せで何が不幸せなのかは、その人の育った環境や状況によってさまざまだと思います。だから私たち恵まれた環境で育った人間にとって大切なのは『他の人の環境を主観的に判断すること』ではなく、『自分のあたりまえの環境を客観的に見ること』だと思います。そうすればおのずと、自分たちが果たす役割が見えてくるのではないでしょうか。
長々とコメントしてしまい申し訳ありません。2年近くブルキナで生活して私が1番日本の子どもたちに伝えたい思いを熱く語ってしまいました。
YOKOさん、コメントありがとうございます。「出生は選ぶことができず、その環境で人は生きていかなければなりません。情報や物にあふれた日本で生まれた私たちから見れば、貧しいブルキナの人たちは『かわいそう』なのかもしれません。それでもこの国で生まれ、何もないのが『あたりまえ』のこの国の人たちにとっては、それが自然であり、日常なのです。」まさにその通りだと思います。「むしろこの国の人たちの楽しそうな表情を見ていると、とても幸せそうです。」ブルキナで私もそう感じました。ただ、JICAのスマッセの視察で知り合った理数科教育のカウンターパートナーの現地教育者は、もっときびしい見方をしていました。アマルティア=センのいう『貧困』、そのれぞれの子供が自分の潜在能力を発揮できないような状況、これは変えてあげないといけない、と私は思います。YOKOさんが、ボールペンを渡したくなる気持ちです。どうすればいいのか、本当に難しい問題です。ずっと悩んでいます。私はただ、この悩ましい想いを生徒にぶつけるのみ、だと思っています。
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