2010年4月7日水曜日

ブルキナの赤い土 その1


 「モザンビークの青い空」という本がある。ポルトガル語もできないのに、単身モザンビークに渡りビジネスを成功させた中年オジサンの話である。ビジネスはまさに紆余曲折。現地の子供を養子にもしている。私は、昨夏ブルキナファソに行った時、このオジサンより、はるかに凄い人物と出会った。それが、Iさんである。私がIさんの生きざまを本にするとしたら「ブルキナの赤い土」と題すると思う。それが、今日のタイトルの意である。きっと一回では無理なので、その1とした。

 今日、Iさんのことを書こうと思ったのは、たまたま昨日、私のブログのリンク先をチェックしていたからである。ここで、ちょっと寄り道をして、リンク先を紹介したい。トップにある「赤提灯…」は最初に読者になっていただいた荒熊さんのブログである。某大学の博士課程に籍を置く文化人類学者さんである。(この方も凄い人である。Iさんと同様ブルキナで知り合った。)次が、Iさんのブログ。久しぶりに記事が載っていたのである。昨日は嬉しくてコメントしてしまったのであった。3つ目もIさんのHP。ブルキナで孤児院をつくることがIさんの夢の1つである。開発経済学テキストで紹介した「詩」もここから引用させていただいた。4番目の「そこはかとなく…」は、ケニアに一緒に行った金沢のT先生のHPである。お世話になりっぱなしの地理の先生である。さらに、5番目の「りり~の部屋」、6番目の「☆あかばる☆」は、先日枚方で会ったOBのブログ。内容がおもしろい。次の「アフリカのニュースと解説」は時々目を通している情報源。私のお気入りのブログである。そして、貴重な読者である哲平さんと知り合うきっかけとなった成毛眞さんのブログとなっている。最後は説明無用のHPである。

 Iさんは、ブルキナで自立した経済的地位を得るため、また孤児院の建設・維持費用捻出のため、さらには、何年も先になるがの孤児たちの雇用先として、居酒屋をやっておられる。私が、ブルキナに行った時はちょうど工事が完成するかしないか、の時であった。<上記画像は昨年8月上旬の様子である。愛機CanonEFで撮影>私もちょっとだけ、ペンキ塗りを手伝った。門の同心円の部分である。その後、居酒屋:和が家はずいぶんとりっぱになっていた。一度「西アフリカぶるきなふぁそ親爺暮らし」の2月6日付記事にアクセスしてみてほしい。店の前も整備され、店内にも私がお土産にもっていった松屋町の旗屋さんの吊旗「茶」が写っている。ブログが長いこと停まっていたのは、きっと水害や様々なトラブルや心労や、読売TVの取材(ぐっと!地球便で昨年Iさんのことが紹介された。)やなんかがあったからだと思うのである。

 と、ここまで書いて、アリナミンAのCMのように右肩が…固まった。続きはまたいずれ書くことにしたい。

2 件のコメント:

  1. いいですねぇアフリカ。
    ブルキナファソ旅行の予算を調べたら、学生にはなかなかでした。ロシアを諦めてアフリカに行くか検討してみます。

    でもロシアも捨てがたいなぁw

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  2.  いいですよぉ。ハマりますよ。アフリカに安く行く航空券の事なら、読者の荒熊さんに相談するのが一番だと思います。(笑)

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