2010年4月13日火曜日
3つのコンフリクト
昨日は、多くのコメントをいただいて大変嬉しく思っている。今日は『3つのコンフリクト』というタイトルで書こうと思う。私の倫理の授業を受けた生徒諸君ならなつかしく思うはずである。倫理の最初の授業で必ずする話である。昔々私が初めて倫理社会を教えた時、某教科書の最後の方に参考として載せていた内容なのだが、教科書を使わない主義の私はプリントにして最初に使うことにしたのである。要するに、人間は、自然・社会・自己自身と戦ってきたという内容だ。自然とのコンフリクトは、寒さ・暑さや疾病・飢餓との戦いである。宗教のベースとなったアニミズムやシャーマニズム、トーテミズムなどの話をした後、私は必ず学生時代の「腸チフス騒動」の話をする。これも私のすべらない話シリーズのうち上位に入る話だが…。
私が京都で学生をやっている頃、木造3階建てのアパートに住んでいた。隣に変わった先輩がいた。真っ暗な中で座禅をしている人なのである。ある日、友人のY君(彼は現在新潟で小学校の教師をしている)が遊びに来て結局泊まった。私は自分のベッドに、Y君はコタツに雑魚寝である。朝、私の部屋の戸をたたく音がするので「朝からうるさいのぉ」と開けると、真っ白な男が立っていた。白い帽子、マスク、白衣。私の名を確認した後、「失礼します。」と突然消毒を開始したのだ。私はまだよいが、Y君は…。白い男は保健所から来たのだった。隣の先輩が腸チフスになったのだという。「突然ですが、あなたは大の時、紙を何枚重ねて拭かれますか?」との質問を受けた。初対面での会話である。(永年の付き合いでも聞かないだろうが…)私は絶句していると、腸チフスの感染経路を話し出した。(私はここでいつも略図を描く)腸チフス菌は、ポットン便所において、保菌者のエニシングからウツルらしい。他の者が、その菌のいるポットン便所でエニシングすると、それはフォールして反作用が起こる。このサムシングが、付着するわけだ。大阪では”OTURI”と呼ぶのだが、これを拭く際の紙の厚さが、感染率を左右するというわけだ。なるほど…。私は多く紙を使うので大丈夫だと思った。Y君の顔は青かった。その夜、先輩のKさんの部屋で、学生が集まり、緊急会議が開かれた。おもむろに「家庭の医学」という本を書棚から取り出したKさんは、「まず発熱がある…。」と腸チフスの項を読みだした。1人発熱している奴がいて、みんな引いたのだった。結局全員が検便をし、無事だったことがわかったのだが、座禅マニアの先輩はいつしか引っ越しした。と、いう実話である。
要するに、現在の我々は、腸チフスに勝ったのである。ポットン便所がなくなり水洗になった。問題の原因をさぐり、その対処をするところに科学がある、と高尚な結論に持っていくのだが…。同様に、社会とのコンフリクト、自己自身とのコンフリクトを具体的に説明する。これらは、後に哲学史を語る上で、極めて重要な羅針盤になるのである。タレスやアナクシマンドロス、デモクリトスなどのミレトス学派は、自然について哲学したのである。デカルトやベーコンも自然について哲学した。カントの先天的認識形式なども、いかに人間は認識するかという点で、自然とのコンフリクトにスタンスを置いている。一方、ホッブスやロック、ルソー、コントなどは社会とのコンフリクトを考えた哲学者である。自己自身とのコンフリクト、すなわち人間がいかに生きるべきかという問いかけは、自己自身とのコンフリクトにあたる。実存主義がその代表であろう。
今日、腸チフスの話をした現代社会演習の4人には、これからギリシア哲学を語っていく。その根幹をなすのは、ソクラテス・プラトン・アリストテレスの三代の師弟である。この3つのコンフリクトで整理すると、極めて判り易くなるのである。<今日の画像は、ちょっとありきたりだが…美瑛の”哲学の木”である。>
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腸チフス・・なじみのない病気ですが、腸内出血するみたいですからなかなか激しい病気ですね。
返信削除私もゼミでアリストテレスの『政治学』を読んでいますが、かなり面白いです。京大出版の結構高い本だったのですが、本棚に置いてあったらカッコいいので気にいっていますw
哲学というのは、基本的にええかっこしたいという気分で勉強するのがいいと思います。何かに疑問を持ち、悩んでその解答を求めるには適さないと私は思っています。哲平さんの本棚に置いとくとかっこいい…という『気分』。これが正しい。内容を語れたらもっとかっこいい、それがさらに正しい入り方だと思いますねえ。高校時代の私がそうでした。(笑)
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