2025年2月27日木曜日

神なき時代の終末論 第1章

https://note.com/heiwaishida/n/n25aa54ff688e
「神なき時代の終末論」(佐伯啓思著:PHP新書)の書評をそろそろ書いていこうかと思う。社会思想家の著者は、現代文明を「グローバリズム」「テクノ・イノベーション」「経済成長主義」の三位一体で、言い換えれば「自由の拡大」「活動条件の拡大」「富の拡大」という「拡大路線」である、とまず表明している。

この路線がいつまでも続くはずはないという悲観論者と、同時になんとかなるという楽観主義者もいる。著者は、フランスのデュピュイの言葉を借りて「破局主義」(グローバル世界はいずれ破局に見舞われる)の立場に立ち、(死を意識することで充実した生を得ることが可能とするハイデガー的な捉え方で、)単なる破局主義ではなく、「方法的悲観主義」の立場を取る。これは、意図的な脱グローバリズム、脱成長主義である。

この「方法的悲観主義」は(日本人である我々には)極めて常識的な判断によるものであるといえるが、今日(世界的には)この常識が共有されない。その理由は、「終末論的思考」が深く影を落としていると著者は考える。

文化というものは、時代とともに変容しつつも、同時に容易には変化し得ない「型」をもつ。それは歴史的に形成され、また保存されてゆく集団的無意識である。発想の型、思考の型、制度化・慣習化された生活の型がある。それこそが、ある国や地域の文化に独自性を与え、また文化を根底から支えている。歴史的・文化的基底ともいえよう。

そこで著者は、欧米主導の「グローバリズム」「テクノ・イノベーション」「経済成長主義」といった拡張主義の根底に旧約聖書的な思考の痕跡があるのではと記している。旧約聖書について少しばかり詳細な記述がその後続くのだが、私にとっては、ほぼ学習済みの内容なので割愛するが、著者の旧約聖書的世界観の”スケッチ”は以下の通りである。社会思想の立場からの視点で、なかなか興味深い。

(1)出エジプト記にあるように奴隷解放の思想がある。キリスト教では、さらに普遍化され、貧しい者、苦悩にあえぐ者の救済というテーマになる。
(2)契約の思想。ここで法の支配が人の支配より上位に置かれる。
(3)義と律法の遵守により最終的に救われるという神の救済で、神が沈黙するとき、人による自己救済という革命思想が登場する。
(4)終末論的歴史観。
(5)一種の選民思想。上に対して義をなしている者はキリス教においても同様で、世俗的に言えばエリート意識を持つ。

第1章の終わりに、著者は、グローバル文明のあちこちに見られる亀裂を題材にしつつ、欧米思想の根底にあるものを探り出したい、と述べている。本書の主題はここにある。

…社会思想史を大学時代に履修した。哲学における社会とのコンフリクトのカテゴリーのみを扱うのだが、日本の社会思想で、自由民権運動時、「東洋大日本国憲法按」を書いた植木枝盛のことを学んだ記憶がある。社会思想も実に面白い学問である。

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