11月9日付のエントリー「使徒言行録 三使徒と三系列」で、このような記述をした。『正教会がヨハネと結びつきが深いのは、「ヨハネによる福音書」の有名な冒頭、『はじめに言葉ありき、言葉は神とともに合った』とあるように、言葉=潜在するロゴス、この自然の中に神の意志がり、たとえイエスを迂回してもただしい言葉を使えば神の元へ行ける、聖霊がロゴス、論理、言葉となってこの世には満ち溢れており、そちらからでも救済は可能。キリスト教徒以外も霊が満ち溢れているからそのパワーによって神に行き着くことさえ可能という発想らしい。』私は神学者としての佐藤優を信用しているが、他の文書でこの確認をしたかったのである。
この「ウクライナ侵攻とロシア正教会」には、『三位一体説において、ニケア・コンスタンティノープル信条では聖霊に対して、父なる神より発すると規定していました。あくまでも父なる神が中心で、そこから神の子であるイエスと聖霊が生まれて、3つのペルソナを有する唯一神になったとの論法です。これに対し、カトリック教会では6世紀頃から、「聖霊が父なる神のみならず、神ニ個イエスからも発する」との用語を信仰箇条に加える祈りが始まり、それが11世紀の初めになってローマ教皇に正式に認められたのです。だがこれが大きな問題になりました。いわゆる「フィリオクエ論争」です。フィリオクエとは、ラテン語で「また子より」の意味。変更したカトリックは大した問題ではないとして収めようとしても、一度決まったことを変えたわけですから、正教会からみれば公会議の根本をゆるがす暴挙ととらえられました』とあり、さらに、正教会のイコンについて詳細に記されている。イエス、聖母マリア、聖人などが描かれたイコンに祈りを捧げる姿が多く見られるのだが、聖母マリア、聖人に祈る場合が多いらしい。ウラジミールの聖母や、カザンの聖母といった有名な奇跡を起こしたとされる有名なイコンもあるそうだ。
今回は、これらの記述から、裏付けが十分されたと思っている。こういう読書もまた楽しである。
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