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世界史の教科書では、15世の記述は、たった1行。「外国貿易は急増したが、国王は政治的指導力にかけていた。」美王と呼ばれ、ポーランド王女の妃と11子をもうけ、公式寵姫のポンパドゥール(画像参照)に政治を任せた。(フリードリヒ大王に、墺・仏・露の三カ国の女性指導者が戦争仕掛けた=ペチコート作戦のフランス側主導者が彼女である。)15世は、玩具を与えられすぎた幼児が無気力になると同様で、天然痘で死ぬまで、求不得苦が全く無いという退屈で不思議な人生を送った。
ルイ15世も長生きしたゆえに、長子が36歳で病死、その長男は”出来杉君”だったのだが病死。次男も早くに亡くなり、三男がルイ16世となる。おどおどした性格で、美王の孫とは思えない見栄えの悪さだった。しかも帝王学など、書物で学んだだけだった。女狂いの15世以上に宮廷儀礼嫌いで、王の秘蹟(王に触れると病気が快癒するという民間信仰的儀礼。民衆と触れ合う唯一の機会)を中止してしまう。16世の人気の無さの遠因でもある。錠前づくりが趣味の16世については、フランス革命でいやというほど出てくるので割愛する。「ブルボン朝の12の物語」のエントリーはここまでとしたい。
絶対君主として、王位継承するのは幸せなのかどうか、そんなことを夢想してしまいますな。
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