https://www.ukrinform.jp/rubric-society/2544197-ukuraina-zheng- jiao-huino-du-litoroshia-zheng-jiao-huino-di-kangsono-li-shi-de-bei-jing.html |
前回のエントリーでも少し触れたが、橋爪氏は、ヨーロッパの西と東の違いは、カトリックと正教の違いだと指摘している。今回のタイトルにある「ルーシの洗礼」とは、10世紀の終わり頃、キエフ大公国(古東スラブ語で、大公国=ルーシ)のウラジミール大公が、世界宗教を導入しようと、ハザール人のユダヤ教、ドイツ人のカトリック、ブルガール人のイスラム教、ビザンツ人の正教を比較検討し、ずば抜けて正教が良いと判断し受け入れたという話である。(画像参照)ロシアは、一時期「タタールのくびき」というイスラム教のモンゴルの影響下にあったが、モンゴルはイスラム化に熱心ではなかったし、正教の伝統を守り通した。これは、WWⅡの大祖国戦争に勝利した(よって、ロシアでは、反ナチズムというレトリックが多用される。)ことと並んで、ロシアの誇りである。このビザンチン帝国の正教は、世界システム(エマニエル・ウォーラースティンの概念:グローバルなシステムではなく、局地的な政治的経済的まとまりを超えた、まさに「世界」と見なしうる包括的な規模を持ったシステムのこと。その典型は世界帝国で、ローマ帝国、中華帝国、イスラム帝国など。)から見た場合、ビザンチン帝国=正教は、他と同じタイプだといえる。
しかしこの世界システムで、例外的な世界システムが存在する。それが、西ヨーロッパを中心とする資本主義の世界システムである。政治的には統合されず経済的にだけ統合されている。「世界帝国」ではなく「世界経済」というカタチで存在している。
西ヨーロッパのナショナリズムは、二重底になっていると大澤氏は述べる。各国それぞれがナショナリズムを持っているが、(ナチスが言った虚構のアーリア人という)本物のヨーロッパ人は誰か、争っている。ナショナリティへのコミットメントが、ヨーロッパへのコミットメントの媒介になっている。このような二重のコミットメントの形式が実際に受肉し、内実を持ち、順調に機能するということは奇跡的ですらある。それだけ、西ヨーロッパは特殊なのである。
…つまり、政教一致の専制的なロシアは実は普通で、政教分離の民主政、人権尊重の西側が特殊なのである。
また、ロシアの社会は、都市が少なく、また川が少なく交易が未発達(西欧の資本主義の発展には多くの河川と運河による流通が重要視されている。)だった。市民社会の成立には都市が必須条件で、その点でもロシアは遅れていた。ナショナリズム論では「シビック・ナショナリズム(西欧的な市民権に基づく)」「エスニック・ナショナリズム(”民族の血”のような幻想的な同一性に基づく)」の二種類が提起され、シビックな西と、エスニックな東に(大雑把に言えば)対応しているといえる。
ロシアで、なぜマルクス主義が成功を収めたのか。橋爪氏は、こう述べる。ナポレオン以来の自由・平等・博愛が、ナショナリズムが十分に育っていないロシアでは、ロシア人の良心にふさわしくなかった。またロマノフ王朝べったりの保守反動的なロシア正教ではない、「非宗教的な普遍的思想」こそが必要だった。それがドイツで生まれ、やがて英仏にも革命が起こるというヨーロッパを覆す普遍思想、マルクス主義であり、ヨーロッパに遅れを取ったロシア人のプライドにフィットしたというわけだ。だが、冷戦の崩壊で、この普遍思想はなくなってしまった。とりあえず、プーチンは、ロシア正教を復活させ、石油資源輸出国として立て直そうとしているが、結局ルサンチマン化しているのが現状である。…なるほど。
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