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橋爪氏は、毛沢東の革命的ロマン主義は、マルクス・レーニン主義か否かはともかくアメリカの「大覚醒」による回心運動に近いと見ている。これは「相転移」(物質が置かれた環境で氷・水・蒸気のように変化すること)であり、文革は毛沢東という「聖霊」から生まれ、紅衛兵の正統性は自分は革命に献身しているという信念であり、毛沢東の承認があるという事実だったと。…1月6日にエントリーした「アメリカの教会」の書評”橋爪大三郎の回心と洗礼考”を参照されたい。極めて面白い論議であると私は思っている。
これは両者の対話のまとめになるが、1949年に共産党が支配を確立したパターンは、易姓革命的ではあるが、共産党は唯物論だから(易姓革命的な)天に選ばれた故、とは決して言えない。つまりイスラム圏のようにうまくいっているから正しいのだ、としか言えない。正統性に問題はあるがゆえに、証明し続けなければならないので(政権は)不安定であるといえる。ただ、共産党は無謬ではないが、毛沢東は(鄧小平の言を借りれば70%の)無謬を維持している。
大澤氏は、ここでロールズの「正義論」を持ち出してくる。基本財(人間が生きる上で不可欠な財)には辞書的な順番がある、という命題。第1に自由、第2に最低限の生活に必要な経済的条件。金持ちの奴隷より、貧乏な自由人を選ぶというわけだが、中国には当てはまらない。西側諸国は、自分たちの方が優れているという自信を失いかけ、生き残るのは中国ではないか、という疑念をいだている気がすると主張する。
橋爪氏は、証明ができないロールズの「正義論」をひ弱な思想としたうえで、古代の奴隷制が一般的だったのは、安全を保障し食べ物をやるから奴隷になれと言われて人々は従わざるを得なかったからで、(歴史的な俯瞰からも)自由は決して1番重要ではないと返す。これに対し、ヘーゲルは、「命を賭けた闘争が、自由な2人の間で戦われて、命を惜しんだほうが奴隷になって、主人に服従する。これは社会の必然だと。でもその奴隷の側に、次の社会を生み出すバイタリティや、危機感や、真実の認識が宿るのである。こうして立場が逆転していくのが弁証法である。」と言っている。たしかに、西側は冷戦終了時には、福祉国家こそが理想的な社会システムだと思えたが、今は喪失している。だが、中国資本主義も、西側より優れていることを証明し続けなくてはならず悪戦苦闘しているといえるのではないか、と論じている。
…たしかに、西側の、特にアメリカの閉塞感が大きい。しかし、中国の資本主義もかなり危ういところにきている。不動産バブル、高齢化社会の中での高学歴失業率の増加、理不尽なコロナ政策で外資系工場の撤退や流通の停滞、海外からの受注量の激減など、共産党の不可解な権威主義的な政策のほころびが噴出しているのが現状だ。
…ところで、日本を代表する2人の社会学者の新書故か、マルクス・レーニン主義(と同時に毛沢東の農民主体の戦略との対比)、訴苦、大躍進政策、文化大革命、ロールズ、ヘーゲルなど、今回のエントリーも世界史や倫理などの学習内容が満載になった。結局のところ、こういう社会科学的な教養を身につけるために高校の学びがあり、それらを常に深化させていかないと大学以降はもたないと言える。新学期から、こういう指摘を常に心がけようと思う。
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