2023年3月9日木曜日

山本七平 「実体語と空体語」

併読していた「山本七平の思想」(東谷暁著:講談社現代新書)のエントリー。「日本教について」の中に、確定要素と不確定要素の悪しきバランスシート的発想法を「実体語」と「空体語」という言葉によって分析されている。甘い見通しのほうがどんどん重くなっていってしまうと、その分のバランスをとるために、非現実的な言葉だけが膨らんでいくという現象である。最もわかり易い例が、小室直樹との「日本教の社会学」という対談でとりあげた大併用戦争末期の「一億玉砕」という「空体語」である。無条件降伏という「実体語」に対してのこれ以上はない空体語。極限まで達したこのバランスは、支点を失い両方が落ち、実も空もない自然的虚脱状態になってしまった、というわけだ。企業においても、こういう状況はありえる。最近では中国の企業の倒産確実な状況や、イスラエルとイランの戦争前夜なども、実体語と空体語のバランスが見え隠れする。

空体語と実体語がバランスをとって人を社会学的に機能させている状態が「空気」だという山本七平の指摘は重要だ。

日本においても懸念するべきことが多い。ここ2・3年のC禍、Wについても、「空体語」と「実体語」のバランスが気にかかる。厚生省の官僚の接種率がかなり低いとか、高齢者を中心に、毎月死亡者数が戦後最大を記録しているという情報もある。

ダボス会議で食糧危機に対処するという理由で決定し、すでに日本でも補助金漬けで食品会社が混入しているというコ○○ギの粉末のことなど、マスコミは何も報道しない。そもそも農林省は、休耕地を増やし、飼育頭数を減らしている。小学生でもわかる矛盾である。ダボス会議に我々は専制的権力を与えた記憶はないのだが…。

民主主義はすでに、「空体語」となっているのではないか。経世済民も「空体語」となっているのではないか。そんな「空気」を感じざるを得ない。

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