エントリーの内容とは関係なく、学園に咲く「花水木」 |
橋爪氏は、アメリカを始めとする西側諸国には、「西側バイアス」があるのではないかと言う。キリスト教圏の人々が当然想定することがいくつかある。まずネイション(国民国家)があるのが当たり前。ネイションに支持された正当な政府がひとつあるのが当たり前。その統治権力に反対するのは、反政府でもテロリストでも正しくないのが当たり前で、打倒されて当たり前。中田氏の指摘通り、アフガニスタンにはネイションは存在しない。この西側バイアスで中東を見ると、ネイションがあるようにみえるのはイランと強いていえばエジプトと例外的なトルコくらい。ネイションになっていない原因はイスラムにあるのではないのか。イスラムは、民族を超え、言語を超え、地域や文化や歴史を超えており、一つの政治的団結(カリフによる統一)が正しいという強固な信念があるが、今やカリフは存在しない。この原理で見ると、各国政府は、地方政権にすぎないし、自らを正当化できない。反政府勢力は同等に見える。どちらが正しいのかイスラム的に決められない、これがイスラム圏の政治的不安定の根本原因である。
なぜ、イスラム圏でネイションができないのか。橋爪氏は、ネイションを(キリスト教の)教会が世俗化したもので、団体・法人と捉える。(社会契約説の)ホッブズの影響下に、教会を真似した政治をするための法人が生まれた。ところが、イスラムでは、法人は存在してはいけない。アッラーがつくらなかったからである。一種の偶像崇拝である。イスラムの人々も困っていると思う。なければいけないものが存在できない。植民地から独立する時に、法人として認められなければ独立できないから、一瞬ナショナリズムにはなり国際社会に加入し、ネイションとして横並びになったものの、中身がない。ナショナリズムは今は用済みで、ないほうがいい、という状態だと思うとのこと。
…私が感じた第1章の重大なポイントは以上である。イスラムではネイションができないという理論は、中東ではないマレーシアには当てはまらない。スンニ派だけでも4つある法学派の違いの影響もあるかもしれないし、ほぼ直接的にイギリスの植民地支配を受け、独立時の指導層がネイション的素地を持っていたが故かもしれない。マレーシアにいる時、「国家と対峙するイスラーム」(潮崎悠輝)を読んで、勉強したが、このあたりの論議は非常に興味深い。中田考氏の本が来てからもう少し深めたいところである。
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