https://www.youtube.com/hashtag/russiaball |
ルサンチマンというのは、ニーチェの哲学用語で、弱者の強者に対する憎悪を満たそうとする復讐心が鬱積した心理のことである。両氏は、ロシアを分析するにあたって、ヨーロッパに対する、このルサンチマンを重視する。
ロシアは、ヨーロッパへのコンプレックスの裏返しで、ユーラシア主義などということを言い出している。またプーチンの側近のドゥーキンという哲学者が、このユーラシア主義の地政学として世界の中心軸を、モスクワと東京、モスクワとテヘラン、モスクワとベルリンと規定しロシアを中心とした世界をつくっていくというポストモダニズムを唱えている。モスクワは、第三のローマ(第二はビザンチン帝国のコンスタンチノープル)であるという精神的伝統も持っている。もちろん、重要なのはヨーロッパとの力関係である。中国と仲良くやっているように見えるが、それは現実的な方便でしかない。
ロシアは、大国である、との意識がすこぶる強い。大国、プーチンは主権国家という語を使っているが、これは、自らの意思を持ち、好き勝手に行動できる国家を指す。日本はアメリカに隷属しているし、ドイツもNATOやEU、そしてアメリカの意思を無視できない。よって、大国とは核保有国であり、アメリカ、ロシア、中国、英仏くらいしか主権国家はないという立場である。…プーチンが核の使用をほのめかすのには、こういう背景がある。
しかし、ヨーロッパはロシアを下に見ている。軍事力はともかく、資本主義は成功しているわけではない。価値観が違う。何よりも「良心の自由・信仰の自由、人格の独立」がない、と橋爪氏は指摘する。ロシア正教(というか正教全般)は、そもそも信仰と権力が一体化してきた。教会が良心をチェックし統治権力がそれを矯正するということが当然と考えられてきた。(それが現代的になったのが、プーチンやアンドロポフの出身である秘密警察である。)東ヨーロッパの正教の小国ならば、ヨーロッパの周縁、西ヨーロッパの下位に置かれてもヨーロッパの一部になったと満足できるかもしれないが、ロシアは大国としてのプライドがある。ヨーロッパと対等、いやそれ以上のスタンスを欲している。それ故、ウクライナやベラルーシといった子分的な地域が、ロシアを裏切ってヨーロッパの下に入ることは絶対許せない。これが今回のウクライナ問題の骨子であるというわけだ。
そもそも、ロシアとウクライナとの関係については、これまでも何度かエントリーしてきたので、キエフ大公国の話や宗教問題(ウクライナ西部のカトリック)の話は省くが、面白いことを大澤氏は指摘している。ウクライナという国の名前が登場したのは、ロシア革命後、ボルシェビキに反対した「ウクライナ共和国」を名乗る人々によってであって、ソ連成立後、統治ユニットとしてウクライナ共和国が出来、ネップ時代にエスニック的なアイデンティティを重視した中央政府によって、ナショナリズムが形成されていった。皮肉な話であるがこれが事実であるとのこと。
第3章の終わりの方に、アフガン難民に対しては極めて厳しい態度を取ったEUが、ウクライナ難民にはかなりウェルカムであったことについて、ギリスト教的な隣人愛のファンタジーさについて、両氏は言及している。
0 件のコメント:
コメントを投稿