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このヴィルヘルム2世は、ラストエンペラーであることは世界史を学んだ者なら当然知っている話である。この父・フリードリヒ3世は皇太子時代は国民的人気があった。自由主義に傾倒し、恋愛結婚に近い婚姻だった。しかしイギリスから来た妃は「イギリス女」と呼ばれ、国民人気は全くなかった。夫婦仲はよかったののだが、この妃と長子・後のヴィルヘルム2世は仲が悪かった。なぜなら、彼には左腕がほとんど利かないという肉体的ハンデがあったのである。逆子で生んだ母は、あらゆる苦痛を伴う医学的治療を行い改善しなかったので、今度はスパルタ教育を施し、姿勢の矯正から乗馬、(特殊な銃ではあるが)射撃など帝王学修得と並行して訓練を課した。それ故の憎悪が生まれていたのだ。青年期を迎えた息子を母は「謙虚さも善意もなく傲慢でエゴイストだ」と言い放った。敵の敵は味方である。イギリス風立憲主義を夢見ていた両親ではなく、祖父のヴィルヘルム1世に接近し、祖父は、ハンデを精神力で乗り越えたという(多分にプロイセン的な)理由でことのほか可愛がっていたのだ。
国民に圧倒的人気があったビスマルクが解任されるのは、1年9ヶ月後。ルール炭田のストライキへの対応で若い皇帝は貧しい者の味方だと示すためであった。この頃にはビスマルクは、皇帝の弱点を見抜き、将来を不安視していた。一流は一流を知るが、二流の人間に一流の力量はわからない。画像は、「水先案内人の下船」というビスマルク退任時の風刺画である。
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